“アイコニック”な存在に、いつも憧れる。
例えば、1983年に誕生したG-SHOCKの初代モデル「DW-5000C」。後にギネス世界記録に認められた耐久性と、一目でそれと分かる質実剛健なデザインは、タフな腕時計の新しいイメージを作り出した。2024年にリリースされた復刻モデル「DW-5000R」を見ても、そのインパクトは色褪せない。
一方で、仕事においてもアイコニックな働き方をする人がいる。好奇心と哲学を糧に独自の道を貫き、新たなスタンダードを作り出す。そんな人たちにも、やはり憧れてしまうのだ。今回は農業、写真、音楽のジャンルにおけるアイコニックな存在が「DW-5000R」を着用。それぞれが感じるG-SHOCKの魅力や、働き方にまつわるインタビューを、「朝」「昼」「夜」の3部構成でお届けする。

“農”を愛するモデル・岡田章吾が素の自分に戻る時

しなやかでタフ。岡田章吾さんはそんな言葉がしっくりくる存在だ。肩書きをSNSのプロフィール風に書くなら、「モデル / モデル事務所・VELBED.代表 / アパレルブランド・KEIMENディレクター / 農家」。東京の仕事場と山梨県の畑を行き来する日々はきっと、いや間違いなく忙しいだろう。それでも岡田さんは「楽しいです」と爽やかな笑顔を浮かべる。原動力は一体何なのか? 朝日が心地よい畑にて、取材を決行した。

──岡田さんはモデルという肩書きに囚われず、さまざまな領域で活躍されています。ジャンルレスな働き方をするようになったきっかけはなんですか?
「20代の頃、『40歳を過ぎてもモデルの仕事ができるのだろうか』と考えた時があったんです。オーディションにずっと通り続けられる保証ってないじゃないですか。実はそれって多くのモデルが通る不安で。2018年にVELBED.を立ち上げたりして、色々なことに挑戦しました」
──畑を始めたきっかけは?
「VELBED.に実家が八百屋の子がいるんです。ある時『農家の気持ちを知るために畑を借りてみる?』と提案したら、彼もやる気になってくれて。事務所で横浜の貸し農園を借りることになりました。でも、1年目はいろいろ植えたのにカチカチの茄子とパクチーしか採れなくて(笑)。すごく悔しかったし、その分、農家さんへのリスペクトも高まりましたね」

──山梨県で農業を始めたきっかけは?
「コロナの頃、山梨県の道志村の人たちと野菜を作って売るという1年がかりの企画に参加したんです。そこで『道志村で畑を借りてみないか?』と誘われて。横浜の農園より面積が大きい分、できることが増えそうなので『ぜひ!』と。それから1年間、農学校に通って、2020年に本格的に広い敷地で農業をスタートしました」
──今日はどんな農作業をしましたか?
「土を盛り上げて水捌けをよくする『畝立て』やジャガイモの栽培、土壌の保温や雑草の抑制ができる『マルチ』というシートを張る作業、土を耕す『耕運』です。今の時期は他にも玉ねぎやズッキーニも育てていますね。週1、2回は畑に来て農作業をしています」

──他の仕事との両立は大変ではないですか?
「むしろ東京と山梨を往復する中で仕事のアイデアが浮かぶんです。それに、作物が年に1回か2回しか収穫できないのも大きいですね。東京ではすぐに結果が出ないと焦ってしまうじゃないですか。でも、植物は人間の都合に合わせてくれないから、畑ではどうしても長い目で向き合うことになる。それは自然の厳しさとも言えるけど、都会で暮らす人にはいい作用も与えてくれると思うんです」

──二拠点生活によっていい循環が起きているのですね。
「以前、“知の巨人”と呼ばれた故・松岡正剛さんとお会いしたときに『全く違うコミュニティや考え方を行ったり来たりするのが大事。1じゃなくて2がいい』とおっしゃっていました。東京にいると肩書きをたくさん持つことになるけど、山梨に来ればただの“畑のにいちゃん”になれるんですよ」
──とはいえ、農業をしていて大変な瞬間もあるのでは?
「前屈みでいる時間が長いので、1年目は腰痛がひどかったです。ただ、身体の使い方を農家のおじいちゃんに教えてもらってるうちに慣れてきて。今ではモデルとしての身体作りの一環と捉えていますね(笑)」

──岡田さんがタフでいるために意識していることは?
「1人でやらないことです。長年の付き合いがあるマネージャーに全幅の信頼をおいてますし、山梨でも農家さんにたくさん助けられている。楽しい気持ちでいられる人と一緒にいることが、物事を長く続ける上で大事だと思いますね」

岡田章吾×「DW-5000R」 “泥がついてもカッコいい”腕時計
──今日はKEIMENのアイテムを中心にスタイリングを組んでいただきました。岡田さんはこのブランドをどのような思いで立ち上げたのでしょうか?
「若い人がカッコいいと思えるような農具を作れば、もっと農業の面白さが伝わると思ったんです。畑と都会、どっちでも着られるような服を目指していますね」

──デザインのこだわりはありますか?
「パンツの膝の生地を2重にしたり、トップスの袖をまくりやすいようリブを長めに作ったりと、ワークウェアのような機能美を意識しています。サンプルを作ったら、必ず畑でフィールドテストをしますね。着込むほどいい具合にエイジングされていくのもお気に入りです」
──機能美といえばG-SHOCKにも通ずるものがあるように感じます。KEIMENのアイテムと合わせてみて、いかがですか?
「畑でも街でも使えるという点で相性がいいですよね。防水機能があるから農作業中もつけやすい。それに、一目でタフと分かるようなビジュアルも、僕がKEIMENで目指すデザインに近いです。泥がついてもカッコいい時計ってなかなかないですよね」

──G-SHOCKの思い出はありますか?
「僕は2000年代ごろに雑誌の『Boon』とかで見て衝撃を受けた世代なんです。親にねだって、大きな『G』が書いてある『6900』シリーズを買ってもらえた時は嬉しかったな。もう電池が切れてしまったんですけど、今でも実家に取ってありますね。G-SHOCKはずっと憧れなんです」

──「DW-5000R」の魅力はなんですか?
「タフさを突き詰めていることですね。その結果、無駄が削ぎ落とされたデザインになっているし、長く使うこともできる。まさにスタンダードにふさわしい存在だと思います」


岡田章吾
1985年、愛知県生まれ。雑誌やWEBメディアなどでモデルとして活動するほか、モデル事務所・VELBED.の代表やアパレルブランド・KEIMENのディレクターとして活躍。そのほか、東⽇本⼤震災の被災地⽀援活動や、特別⽀援学校のボランティアなど、活動は多岐に渡る。
Instagram:@shogo_velbed

求道するカメラマン・是永日和が笑顔を生む時

その場にいる人がみんな笑顔になる。そんな個性はカメラマンにとっての宝物ではないかと、是永日和さんを見ていると思う。エキセントリックな動きと、被写体へのユーモアたっぷりな指示、シャッターチャンスへの貪欲さ。学校では学べないようなやり方で切り取られた写真は、やはり一目で是永さんと分かる質感を持っている。独自のスタイルは、どのようにして生まれたのか? 西日が照る午後、作品撮りに同行させてもらった。
──是永さんが写真を始めたきっかけはなんですか?
「京都の大学に進学したくらい、お寺が大好きだったんです。御朱印集めをしながらiPhoneで写真を撮ったりしていたんですけど、ある時、京都のお寺の広告を見て『何かが違う』と気づいて。友達に聞いたら『この写真は一眼レフで撮っているんだよ』と教えてもらって、その日にヨドバシカメラに直行しました(笑)。それからミスコンに出場する友人に頼まれたりして、少しずつ人物を撮るようになりましたね」

──東京を拠点にカメラマンとして活動するようになったきっかけはなんですか?
「せっかくなら“でっかい花火”を打ち上げたいと思って、ほとんどノリで友達と車一台で東京に出てきました。失敗したら就職先を見つければいいと割り切れたんですよね。僕の中ではカメラを手にした時点で“最高値”だったのかなと思います」

──現在の撮影スタイルはどんな風に培われましたか?
「動きに関しては、写真を始めた頃から友達に『ちょっと変だね』と言われていました(笑)。でも、東京での初めての仕事でご一緒したニッポンの社長(お笑いコンビ)の辻さんが面白がってくれたんですよね。周りの大人が肯定してくれて、今の僕があると思います」

──是永さんの写真は笑顔が印象的です。
「もちろんキメ顔も撮りますけど、圧倒的に笑っている時の方がシャッターを切りたくなりますね。誰もしたことないような指示を考えるので、どんな顔で応えてくれるのかなと、僕自身が一番ワクワクしてしまうんです。例えば今日なら『相葉くんみたいに振り返ってみて!』とか(笑)。そんな共同作業を経て、いい表情を撮れた瞬間が一番気持ちいいですね」

──是永さんはいつも同じ服装で撮影されているのも気になります。
「髪型も服装もアクセサリーもそうですし、現場に入る時に聴く音楽も毎回一緒です。気持ちよい撮影を経るごとに“お決まり”が増えていきました」
──今日はモデルや現場の雰囲気に応じて柔軟に撮影していました。しっかり“決める”部分と、フリースタイルで望む部分は、是永さんのなかでどのように分けているのでしょうか?
「実は撮影中もあんまりアドリブじゃないんです(笑)。こう見えて、実はいろいろ準備している。というのも、僕は“やればできる子”ではなく“やらなきゃできない子”だと自己分析していて。現場にサッと来てクールに撮って帰るようなカメラマンにも憧れるけど、この泥臭さが僕なりの戦い方なんです」

──たくさん悩んだ末にあの笑顔を撮られているのが伝わってきました。
「毎日『頑張ろう』と思っています。例えば、今僕がこうやって話している14時という時間は、明日も必ずやってきますよね。でも、過ごし方や感じ方は毎日違う。明日の同じ時間を、同じ悩みを抱えたまま迎えないよう、少しずつ進み続けていきたいです。その上で、人のそういう変化も感じて記録に残せたら、カメラマンとしてこんなに嬉しいことはないと思います」

是永日和×「DW-5000R」 理屈抜きで気分が上がる“メカニカルさ”
──「DW-5000R」を着用した感想を教えてください。
「『このカットは7分』などと計算しながら撮っているので、必需品だと思いました。いつものスタイリングにプラスしたいですね」

──是永さんとG-SHOCKの繋がりについても教えてください。
「15歳の時はずっと水色のG-SHOCKをつけていました。その後、父親が『機動戦士ガンダム』とコラボした赤いモデルを手に入れて。似たようなデザインのものを僕も買いましたね」
──赤いG-SHOCKが欲しくなった理由は覚えていますか?
「思春期の頃って派手な色を見ると“子供っぽい”と思うはずなんですけど、父親のG-SHOCKはなぜかカッコよく見えたんですよね。大人が着けているものを背伸びして真似したくなったんだと思います」


──「DW-5000R」の魅力はなんだと思いますか?
「高校生の頃は派手な色に憧れたけど、大人になるとこういうシックな色を着けたくなります。そして何よりこのビジュアル。いわゆる“男の子の憧れ”って感じでカッコいいですよね。黒くてゴツゴツしててボタンが多いと、理屈抜きでテンションが上がる(笑)。それこそ、僕が感じているプロダクトとしてのカメラの魅力にも通ずると思います」

是永日和
2000年、愛知県生まれ。立命館大学産業社会学部卒業。カメラマンとして、雑誌やWEBメディアなどさまざまな媒体で活躍。2024年にはお笑いコンビ・ニッポンの社長をテーマにした個展『ニッポンの社長×是永日和』も開催する。
Instagram:@hiyori_korenaga
X:@hiyori_korenaga
Off Shot by 是永日和

アイコニックな音楽家・力毅が好奇心を表現する時

轟音が夜のスタジオを揺らす。エレキギターを操るのは、バンド、Cody・Lee(李)の力毅さんだ。エフェクターを踏んで音色を変え、小気味良いファンクや疾走感あるハードロックなど、さまざまな曲調を自由に行き来する。全身を英国調のチェッカー柄でまとめたスタイリングにも、演奏に通ずる軽やかな好奇心が現れているようだ。培ってきた“好き”を全身全霊で表現する姿は、まさにアイコニック。そんな力毅さんの哲学に迫る。
──力毅さんがバンドを始めたきっかけはなんですか?
「大学のカフェテリア的な場所で、響(Cody・Lee(李)のボーカル/ギター、高橋響)に『イベントに出たいんだけど、バンドをやらない?』と誘われたんです。お互いに接点はあまりなかったんですけど、『力毅は暇らしい』という情報は彼に伝わっていたみたいで(笑)。高校の軽音部時代がバンドを組んではすぐ解散しての繰り返しだったので、僕も長く音楽できる相手が欲しかった。迷わず引き受けましたね」

──Cody・Lee(李)は映画などの主題歌も担当されています。プロとしての活動を始める上で、ギターへの向き合い方が変わった瞬間はありましたか?
「いや、ずっと一緒ですね。高校生の時にギターを手に入れてから『自分を一番表現できる手段はこれだ』と思って。例えば、人が歩いている何気ない姿も、アイデアひとつで音楽という形にすることができるじゃないですか。そういう表現を続けるのが自分に合っていたし、この道しかないと思っているんです」

──新曲「Ghost (feat. 洪佩瑜)」は中盤のギターソロが印象的です。どのようなことを考えてフレーズを考えましたか?
「生きている人とゴーストによる“生死の追いかけっこ”を表現したくて、左手で弦を押さえながら、右手で弦を叩いて音を出す『タッピング』や『ハンマリング』という技法を多用しました。弾いているところが、右手と左手が追いかけっこしているように見えるんですよ。もちろんその設定を知らなくても不思議な聴こえ方をするようにフレーズを考えています」


──力毅さんといえばファッションも印象的です。
「服を好きになったきっかけは中学生の時ですね。休みの日に友達がパーカーとジーパンを着ていて。当時はシャカシャカの動きやすい格好が当たり前だったから、それが無性にカッコよく見えた。フードが付いている服ばっかり集めるようになって、重ね着しすぎて首周りがタプタプになった時期もありましたね(笑)。ファッションに本格的にのめり込んだのは、大学時代。ジーンズショップでバイトを始めて、古着好きの店長の影響を受けました。今でも年間1500着は服を買っていて、Cody・Lee(李)のスタイリングは基本的に僕が担当していますね」

──ご自身のスタイルはいつ確立しましたか?
「学生時代は意味もなくスカートを穿いたりしていました。でも、ただ“かっこいいから”で着るのは違和感があるなと思い始めて。それって若さゆえの勢いなのかなと。今では説明がつかないようなことはやらないようになりました。言葉にできるからこそ、さまざまなテイストを結びつけられると気づいたんです。音楽とファッションもその考え方は同じですね」

力毅 ×「DW-5000R」 身につけて初めて分かる普遍性と力強さ
──今日のスタイリングは「DW-5000R」をイメージしていただいたとのお話でした。
「『DW-5000R』を表すキーワードが“スタンダード”だと思ったので、同じく服のスタンダードとされる白シャツと合わせました。もう一つは、あえてカジュアルなG-SHOCKとイメージが遠いラグジュアリーな服やアクセサリーと合わせることで、『DW-5000R』の普遍性も表現していますね」

──「DW-5000R」を着けてみていかがでしたか?
「袖が長い服を着ると、ギターを弾く時に手元が邪魔になるんです。服の上からバングルをよく合わせているんですけど、『DW-5000R』なら袖を留めながら時間も見られる。ギタリストの必需品とも言えるんじゃないかと思いました」

──G-SHOCKは普段から使っていますか?
「エメラルドグリーンや黄色のような派手な色を着けていますね。スタイリングするときは靴や帽子だけ同じ色のものを合わせたり、全身を同色でまとめたりしています。僕はG-SHOCKからスタイリングを考えたのに、他人からは『腕時計までこだわって色を合わせている』と見えるのが面白いんです」
──今後、「DW-5000R」をどのような着こなしに取り入れたいですか?
「ラグジュアリーな着こなしに合うと分かったので、アメカジだったりフェミニンなコーディネートにも取り入れてみたいなと。普遍的なところが魅力のアイテムなので、いろいろな着こなしを想像できて楽しいですね」

──力毅さんはWEBで古着屋も運営されています。今後、力毅さんがファッション方面で挑戦したいことはありますか?
「グッズを開発したいですね。例えば今はスパンコールの衣装に合わせられるギターストラップを作っています。バンドマンがもっとおしゃれな存在だったらいいなと思っていて。僕は音楽とファッションを繋ぎ合わせる橋渡しのような存在になりたいです」
──最後に、Beyond magazineの読者にコメントをお願いします。
「“フィジカル”を大事にしてほしいです。例えば『DW-5000R』も、実際に身に着けてわかるタフさだったり、デザインの魅力があると感じていて。まずは服を買ってみたり、本を紙で読んだり、ライブに足を運んだりと、自分の身体で体験できることを増やしたらいいのかなと。少し手間がかかるかもしれないけど、それを楽しむことに人生の豊かさがあると思うんです」

G-SHOCK「DW-5000R」

G-SHOCK「DW-5000R」3万3000円
1983年に発売したG-SHOCKの初号機「DW-5000C」を復刻。赤、青、黄色をバランスよく散りばめたカラーリングや、堅牢性をイメージした文字盤の「レンガパターン」などが特徴。ボタンの配置やバンドの形状など、「DW-5000C」の細かな部分まで再現しているところもファン心をくすぐる。
問い合わせ先:カシオ計算機 お客様相談室 0120-088925(時計専用)公式サイト
Photo:吉嗣裕嗣&是永日和(Off Shot)
Text&Edit:山梨幸輝
Model(是永日和編):RYUMA
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