浮世絵や花札をはじめとした和の文化と、アメリカのポップカルチャーを融合させた独自の世界観「和メリカン」で注目を集めるイラストレーター・BEY(28)。
2025年3月、福岡市中央区大名のギャラリー兼カフェ「CARBON COFFEE」を訪ねると、カウンターに座り、紙皿にのばした絵の具を筆にとってキャンバスに黒い線を引く青年の姿があった。水を入れているのはプラスチックのコップ。これがいつもの彼のスタイルだ。

稀人No.013
イラストレーター・BEY(ベイ)
1997年、熊本県八代市生まれ。佐賀大学芸術地域デザイン学部卒業。大学在学中よりイラストレーターとして活動を開始。浮世絵をはじめとする「和」の文化と「アメリカン」ポップカルチャーを融合させた 「和メリカン」をテーマに作品を展開。「新しい学校のリーダーズ」のジャケットデザインや複数のアパレルブランドとのコラボレーションなど、活動の幅を広げている。2024年に拠点を福岡から東京へ移し、ジャンルを超えた多様な表現に挑戦中。
Instagram :@beytaro_0912
HP:https://asobisystem.com/talent/bey/
東京を拠点に活動する彼は、自身のキャリアの転機ともなった地で凱旋展示を行っていた。

2025年3月に福岡「CARBON COFFEE」で開催された巡回展「NEW WAMERICAN TOUR」
大学在学中にイラストレーターとしての活動を開始。その後、福岡をベースに人気音楽グループのアルバムジャケットからアパレルブランドのショーウィンドウデザインまで活動の幅を広げてきた。2024年春より東京に移り、その歩みを加速させている。
「和メリカン」はどのようにして生まれたのだろう――。BEYさんの軌跡をたどる。
表現することの喜びを教えてくれた父と母
1997年、熊本県八代市に生まれたBEYさん。父が営む建設会社の事務所は家の敷地内にあり、幼い頃からそこのパソコンで設計や製図をするためのCADソフトを触って遊んでいた。小学2年生になると、両親が入れてくれたお絵描きソフトで絵を描き始め、10歳の誕生日に買ってもらったペンタブでの創作スタイルは、28歳の今も変わらない。
自宅には、海外カルチャーが好きな母が集めた雑貨が並んでいた。スポンジボブやトイ・ストーリー、スターウォーズのフィギュアをはじめ、アメリカンコミックスやアメリカンポップカルチャーを身近に感じられるキャラクターグッズに囲まれて育った。

BEYさん幼少期(BEYさん提供)
絵を描くことが好きだった母は、地元施設のイラスト公募などに応募して採用されていた。 母の姿にBEYさんは、絵を描くことの可能性を感じた。
「そのころの夢はすでにイラストレーターでした。父も図面を引くし、デザインもするので……サラブレッドですね」と笑う。
「好きなことを形にして発信すること」の喜びを教えてくれたのは、小学3年生のころにはじめた「お絵描きブログ」だった。描いた絵をブログに載せると、見知らぬ大人たちから寄せられるコメントに喜びを感じた。絵を描くことで、世界が広がっていった。
成績も良かったBEYさんは、地元に新設された中高一貫校の2期生として入学する。
中学1年生になると、スパイダーマンの映画を機にアメコミのヒーローにどはまりする。高校2年生の時に自身で買ったスパイダーマンのオーダースーツを着て、玄関でポーズを決める少年の写真は今も、彼のスマホに残されている。このころから、スパイダーマンやオリジナルのヒーローを描きはじめた。

スパイダーマンのオーダースーツを着たBEYさん(BEYさん提供)
不自由なく育ってきたBEYさんが中学3年生の時、家族の暮らしが一変する。
父が会社を畳むことになったのだ。家業を継ぐ必要はなくなり、イラストレーターへの道が開けた一方で、家族の変化を肌で感じていたBEYさんは、高校で生徒会長に立候補する。 「僕が張り切れば親も頑張るしかないだろうと思ったんです。目立つのは嫌いじゃないので」とにやりと笑う。
部活でも仲間うちでも学校でも、家族のなかでもBEYさんは、みんなを盛り上げるムードメーカー。高校生活を送るなかで両親の仕事の状況も落ち着き、日常の暮らしが戻ってきた。

高校時代のBEYさん(BEYさん提供)
普通科に通いながら芸術大学への進学を目指すため、画塾へ通いデッサンを学んだ。2016年、先生から紹介された新設の芸術学部、佐賀大学芸術地域デザイン学部へ進学した。
「新しい環境であれば、古いしきたりとかがあるよりも自由が効くかなという思いがありました」と振り返る。

インタビューに答えるBEYさん
運命の言葉が降ってきた夜
大学に進学した年の夏、19歳のBEYさんに運命の出会いが訪れた。 ある日の夜、頭のなかに突然ひとつの言葉が降ってきた。
「和メリカン」
小学5年生の時、頭のなかに「赤坂だるま」という言葉が降ってきた時と近い感覚だった。「赤坂だるま」という言葉から描いたイラストは、コロコロコミックの「イナズマイレブンのオリジナルキャラクター」公募に当選。この出来事は、ただ絵を描くことが好きだった少年に「自分のアイデアやイラストは全国で通用する」という自信をもたらした。

あの夏の夜以来、BEYさんの頭のなかを「和メリカンってなんだろう?」という問いがぐるぐると回り続けることになる。
当時、大学に入ってさまざまな絵柄が描けるようになる一方で、自分独自のテイストを見つけられずにいたBEYさんは、日本画の先生のもとを訪ねた。
「『和メリカン』というワードが頭のなかに降ってきて、ずっと残っているんです。どうすれば良いでしょう?」
「描いてみたら?」と先生は、江戸時代末期の浮世絵師・歌川国芳の画集を譲ってくれた。「自分の思う和メリカンを思うままに描いてみたら、それらしいところに着地するんじゃない?」
この言葉が、BEYさんの「和メリカン」探求のはじまりとなった。
「和メリカン」の方向性を模索するなかで、東京で開催されていた「スーパー浮世絵展」にも足を運んだ。きゃりーぱみゅぱみゅやFRUITS ZIPPERらが所属し、日本のポップカルチャーを世界へ発信しているプロダクションASOBISYSTEMが携わっていたこの展示は、現代技術を用いて浮世絵を動かすなど、伝統文化の新しい見せ方を提案するものだった。この展示を通してBEYさんは「若者が触れる機会の少ない伝統文化を、ポップでキャッチーな形で今の世代に届けることができたら」との思いを強くした。

インタビューに答えるBEYさん
イラストレーター・BEYの誕生
2018年夏、BEYさんに、大きなチャンスが訪れる。
「店のオリジナルTシャツを作るのでデザインしてもらいたい」。 熊本のセレクトショップ「&Chill(アンドチル)」のオーナーから1通のメールが届いた。
大学に入り時間ができたBEYさんがインスタグラムに投稿していたイラストや自作の服を見て、連絡をくれたのだ。仕事依頼のメールを見た彼は、飛んで喜ぶでもなく「ついに来たか」と静かに手応えを感じた。地道に続けてきた発信活動が実を結んだ瞬間だった。
この仕事依頼をきっかけに「BEY」という名前が誕生する。
「それまでは本名でインスタグラムもやっていました。仕事の話をもらった時点では、趣味で絵を描いている大学生でしかなかったので、そのスタンスで仕事をするのは先方に対して失礼だと思ったんです。これからコラボ作品として販売していくことも考えて、アーティスト名をつけることに決めました」
手がけたオリジナルTシャツが2018年6月にリリースされると、このつながりがさらに新たなチャンスを生む。
&ChillコラボTシャツ(BEYさん提供)
1か月後、東京で開かれる若手アーティストを集めた展示会の話を耳にしたセレクトショップのオーナーが「最近勢いのある若手アーティストがいる」とBEYさんを紹介してくれたのだ。
イラストレーター「BEY」と名乗りはじめてわずか3か月、東京での展示会への切符を手に入れた。
泥臭い努力が生んだチャンス
2018年8月31日から9月12日までの約2週間にわたって東京・原宿で開催された展示会「Hey! Say! Graphics!」に単身乗り込んだBEYさんは、掴んだチャンスを最大限に活かす覚悟で臨んだ。
東京をはじめ全国の若手クリエイター60名が集まるこの展示会には、すでにクリエイターとしてキャリアを持つ著名人も参加していた。来場客のほとんどは、当然ながら有名クリエイターの在廊日を狙ってやってくる。 BEYとしての活動を始めて間もない彼は「なんとかしてファンを作るしかない」と決意。開催期間の全日程で在廊することにした。 この泥臭い行動が、次なる展開を生む。


Hey! Say! Graphics!(BEYさん提供)
毎日在廊しているBEYさんに声をかけてきたのは、他の出展クリエイターたちだった。挨拶を交わし顔見知りになると、彼らが自分の展示に訪れた客にBEYさんを紹介してくれるようになった。そこから徐々にBEYさんの展示に足を運んでくれる客やSNSのフォロワーも増えていった。
クリエイターたちとの横のつながりが生まれたことで、そこから仕事をもらえるようになった。
「東京の大学に進学していた妹の家に泊めてもらって毎日、国分寺から原宿まで通いました。あの場にすごく良いグルーヴがあって。そこで出会った人たちとのつながりは今も続いています。あの展示会に出られていなかったら、今の僕はないです。地方でイラストレーターをやっていた僕が、一気にキャリアを上げるきっかけになった展示会でした」
試行錯誤を重ねるうちに少しずつ、「和メリカン」の方向性も見えてくる。

ライブペイント2022(BEYさん提供)
はじまりの地「CARBON COFFEE」
大学卒業後、佐賀から福岡へと拠点を移し、大学時代から個展を開かせてもらっていた飲食店で働きながら、フリーのイラストレーターとしての道を歩みはじめた。就職活動は一切せずに、「自分の表現で生きていく」と決めていた。
フリーランスになって最初の展示は、ASOBISYSTEMが運営する福岡の「CARBON COFFEE」。この展示を機に、ASOBISYSTEMから「スニーカー」と「アート」を掛け合わせた新しい価値を生み出すプロジェクト「artrA」へのオファーをもらった。

福岡「CARBON COFFEE」
そこでBEYさんが制作したのは、花札をモチーフとした作品。太い線の黒い枠のなかに絵を描いたイラストが人気となり、それ以来、BEYさんを代表する作品となった。
「なにをもって『和』を表現するかと考えたとき、究極的には花札の黒い枠のなかに絵を描くだけでも、花札らしさが出るんです。ただ黒い枠があるというだけで、それを『和』に感じる要素がある。同じように目に見える富士山や波といったモチーフとしての『和』ではなく、黒い枠のように僕らが意識していない『和』の要素を考えています」と語る。
その後、福岡事務所のマネジャーに声をかけられ、ASOBISYSTEMに所属することになった。

2025年3月に福岡「CARBON COFFEE」で開催された巡回展「NEW WAMERICAN TOUR」
居心地の良い場所を飛び出して
事務所に所属し活動を本格化させたBEYさん。福岡を拠点に東京、大阪、京都での個展を開催するなど、活動範囲はどんどん広がっていった。2023年には、アパレルブランドHUNTERの銀座フラッグシップストアのウィンドウビジュアルやアニメーション、公式サイトに設けられた札合わせゲームの花札デザインを担当。人気アーティスト「新しい学校のリーダーズ」のCDジャケットデザインも手がけるように。イラストレーターとしての活動の幅が広がるなかで、ある思いが芽生えてくる。
「このまま福岡にいたら甘えてしまう」
「福岡にはイラストレーターとして確固たるポジションを確立している先輩もいて、上の世代のイラストレーターさんたちもイラストの仕事だけで食べていけている状況がありました。居心地もいいし仕事をもらえる基盤もある。だからこそ、そこに甘んじてしまうと思ったんです。地方では予算規模にも限界があります。自分の表現の可能性をもっと広げたい、より大きなチャレンジができる場所に行くなら今しかないという気持ちで、上京を決めました」
2024年、年が明けると同時に東京行きを決断したBEYさんは、働いていた飲食店を退職し、翌日には東京での家を探し始めた。その1週間後には上京し、部屋を契約。退路を断ち、東京に行かざるをえない状況に自らを追い込んだ。

東京・原宿のASOBISYSTEM本社ビル

BEYさんがいつも持ち歩いているスケッチブック
限界イラストレーターからの進化
2024年春、東京暮らしを始めたBEYさんだが、その道のりは決して平坦ではなかった。
「やばかったです。去年1年間は本当に死ぬかと思いました」と語る表情に、清々しさを感じた。
福岡時代に比べて家賃は高く、物価も上がり生活費はおよそ倍になった。生活を支えるため、ふたつのアルバイトを掛け持ちしながら、イラストレーターとしての活動を続ける日々が、2025年の年明けごろまで続いた。
休みは月にわずか1日程度。福岡に帰省した際、以前勤めていた飲食店に立ち寄ると、疲れ切った様子を見かねたオーナーから「東京で借りてる部屋の違約金を払ってやるから、福岡に帰っておいでよ」と言われたこともあった。
「福岡に帰ることは考えなかったです。東京で納得いくほどやれたという自信もないなかで、こんなところで帰ってられるかという思いもありました。今思えば、絵の仕事がなくなっても福岡では生活できる環境があったので、イラストレーターでやっていく覚悟が甘かったんです。僕のなかで絵を描くという行為自体が楽しいだけではなく、絵で稼いでいく、絵を頑張らないと生きていけないと腹をくくったタイミングでもありました」
ギリギリの生活のなかでも、絵を描く手を止めることはなかった。
2024年11月には、渋谷のホテル「TRUNK」で上京後初の個展『NEW WAMERICAN』を開催。過去最大サイズとなる縦1620cm×横648cmのキャンバス作品や全作品原画など自身最大規模の展示に多くの来場者が訪れた。

これまで自身を「限界イラストレーター」と称し、依頼される仕事は断らずに受けていたというBEYさん。今ではライブペイントやウォールアートなど依頼先で行う仕事も増えてきて、すべての仕事依頼を受けることが難しい状況にもなってきているという。
「福岡で個展を開けば友人や知人がたくさん来てくれて、人の温かさを感じる一方でその環境に甘えてしまっていたんです。でも東京ではリセットされて、良くも悪くも僕のことを知らない人が多いので、イチから知ってもらう活動がすごく楽しくて。今、仲間を集めていってるような感覚です。東京に来てからの1年は、1日単位でプロジェクトの話が進み、圧倒的なスピードの早さを感じました。去年1年間でしんどかったところを抜けたので、今はもう怖いものがなくて最強モードです」

新しいイラストレーター像を作りたい
「和メリカン」を模索し続けて8年、その答えは見つかったのだろうか。
「『これが和メリカン』という正解はなくて、ずっと模索し続けるんだと思います。『自分のスタイルはこれ』ってどこかに定着してしまったらそこで終わりだと思うので。だから、熱しやすく冷めやすい飽き性の僕でも続けていられます(笑)。自分の知らない伝統文化や『和』の要素、たとえば仏像や神社、建物とかいろんなものにフォーカスを当ててみるのも面白いなって。『アメリカ』についてももっと調べて解釈して表現していきたい。ある意味、なんでもありなんですよね」

福岡の「CARBON COFFEE」で創作中のBEYさん
そう語るBEYさんが描く「和メリカン」な世界は、絵のなかだけにとどまらない。
「文章を書くのも好きだし、喋るのも好き、ぜんぶ僕の表現だから。BEYとしての活動の幅をもっと広げて、絵に限らずいろんなジャンルの表現をしていきたい。イラストレーターって顔出しせず、先生って呼ばれているようなイメージがあると思うんです。僕は出しゃばりだから無理なので(笑)。『国民的に人気のあるイラストレーターって誰?』と聞いても思い浮かばない。僕はそこを目指したい。新しいイラストレーター像をつくれたらいいなって。事務所にOKがもらえたら、ラジオやテレビにも出演したいです」と語るBEYさんの瞳は、その先を見つめている。
「最終的には、表現者として和メリカンな空間『WAMERICAN DINER』を作りたいです。福岡でも地元八代でも良くて、一緒に盛り上げてくれる同世代がいたら八代で土地を買って、店や空間を僕がデザインして、図面や施工を親にやってもらえたら最高ですね」
BEYさんが描く「和メリカン」な世界は、キャンバスをどこまでも超えていく。

執筆
サオリス・ユーフラテス
1979年、佐賀生まれ、福岡市在住。19年の会社員生活を経て、2021年よりフリーライター。経営者インタビューや多様な生き方を取材・執筆。正しい道より楽しい道を。最短距離より寄り道を楽しみながら、旅の途中。
Instagram :@osiris76694340

編集、稀人ハンタースクール主催
川内イオ
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、イベントなどを行う。