「幸せはお金で買えない」。
胸を張ってそう口にしたいけど、羽振りのいい暮らしに憧れる自分もいたりする。令和の今は、税金もお米も高いんだから無理はない。でも、そんな中だからこそ、いつの時代も変わらない幸せについて、改めて考える時間があってもいいと思う。
たとえば古典落語の「芝浜」。大金を手に入れた夫婦の葛藤と愛をコミカルに描いた人情噺は、今も色褪せない傑作だ。江戸時代の話なので感情移入しづらい部分もあるが、そこはリスペクトを持って現代的にアレンジしてしまおう。2000年生まれの落語家・桂南海さんと一緒に「芝浜」の“令和リミックス”を考えながら、お金で買えない幸せに思い馳せてみた。

桂南海
2000年、東京生まれ。落語芸術協会所属の落語家。2020年、3代目桂小南に入門。2024年8月、二ツ目に昇進した。江戸の女流落語家としては現時点で最年少。「寄席を始めて見るなら『浅草演芸ホール』がおすすめ。踊りや音楽など落語以外の演目も盛りだくさんで見やすいと思います」
X:@nancy_katsura
エモーショナルな人情噺「芝浜」の魅力
――まずは「芝浜」のあらすじを教えてください。
噺家によってさまざまな解釈がありますが、大まかにはこんなストーリーです。
主人公は酒飲みで怠け者な魚屋の亭主・勝五郎。ある朝、痺れを切らした女房に「早く河岸へ行っておくれよ」と起こされる。重い腰を上げた勝五郎は仕事へ向かう途中、偶然立ち寄った芝浜(今でいう田町のあたりの海沿い)で財布を発見。
仕事もせずに帰宅した勝五郎。拾った財布の中身を女房と数えると、なんと50両(現在の価値でおよそ500万円)。「遊んで暮らせる!」と有頂天になった勝五郎は、友達を呼んで散々騒いだ挙句、寝てしまう。しかし、翌朝目を覚ますと、女房が「財布なんて拾ってない。夢でも見たんじゃないか?」と一言。しかも散財の方は現実だった。勝五郎は「お金を拾う夢を見るなんて情けねえ。心を入れ替えて働こう」と決心する。
3年後、大きな店を構えるまでになった勝五郎。大晦日の夜に女房は汚れた財布を見せ、「これはお前が拾ったものだ。実はあの時の財布は夢じゃなかった。酔いつぶれている間に隠したんだ」と打ち明ける。拾ったお金を使うと“後ろに手が回る”からと、奉行(警察)に届けていたのだ。最初は「こん畜生め!」と聞いていた勝五郎だが、「俺がこうして正月を迎えられるのはお前のおかげだ」と納得。2人はお金で手に入らない幸せを再認識する。
――「芝浜」の魅力はなんだと思いますか?
基本的に、落語は意味がないけど面白い“ロングバージョンのジョーク”でもいいんです。でも、この演目は多くの噺家がエモーショナルな要素を大切にしながら演じているように感じていて。たとえば、どうしようもない勝五郎に対する女房の愛情や、お金ではなく誰かのために一生懸命働くことの尊さですね。あとは終盤の大晦日の空気感も作品に奥行きを与える要素だと思います。

――南海さんが落語を演じる上で意識していることはありますか?
私は古典落語で描かれる江戸の人物像にマッチするタイプの人間ではないと思うんですよ。一般的に、若い男性が長い年月をかけて当時の“チャキチャキ”な言葉遣いや口調を追い求めて初めて完成するようなものですから。現代、古典問わず、私が演じる場合は、役や脚本を自分の土俵に引き寄せる努力をすることが多いですね。
――落語の“改変”もその手段の一つのように感じます。南海さんがこだわっていることはありますか?
伝統芸能なので、安易な気持ちで変えていいものではないと思ったりもするんです。ただ、現代的な要素を盛り込んだ方が、馴染みのない人にとっては世界観に入り込みやすいのも事実で。特に江戸時代のことって、現代に生きていたら普通はほとんど知らないじゃないですか。今回の「芝浜」も、伝統を疎かにしているわけではないということを前提として伝えた上で、落語の“入り口”になるよう、大胆にアレンジをしたいです。

キャッシュレスの時代ならこうなる? 「芝浜」令和Remix
「芝浜」が令和の話だったらどんな感じ? 1時間ほどの話し合いを経てできた“リミックス”がこちらだ。
おはな 「最近毎日Switchやってない? いつになったら原稿書くの?」
勝五郎 「10日書いてない。でも締め切りなんて1日破ろうと2日破ろうともう変わらないよ」
おはな 「流石に今日は書いた方がいい!」

勝五郎 「いや、実はMacBookのバッテリーが切れてるんだよね」
おはな 「充電しておいたよ」
勝五郎 「でもまだ取材の文字起こしもしてなくて」
おはな 「それもやっておいた」
勝五郎 「それはなんで?」
おはな 「いいから今日は絶対書いてね。私はこれからバイト行ってくるから」
残った勝五郎は一人、スマホでXを眺める。

勝五郎「お、お金配ってる大富豪がいる。リポストしてみようかな。……意外とちゃんと返信来るものなんだな。ってあれ?」
数時間後、おはなが家に帰ると、そこには友人たちと酒を飲み、騒ぐ勝五郎が。
おはな 「こんなにウーバーイーツ頼んでどうしたの?」
勝五郎「当たったんだよ! 500万円! これでしばらく遊んで暮らせる!」

大量に届く、くら寿司、韓国のフライドチキン、四川風麻婆豆腐、高いサラダボウル。
おはな 「支払いはどうしたの?」
勝五郎 「リボ払い」
おはな 「それはお金が当たったとしてもダメだよ」
酔い潰れて寝てしまう勝五郎。翌朝、おはなに起こされて原稿を書くように言われる。

勝五郎 「原稿? 昨日の500万円があるからもう書かなくていいでしょ」
おはな 「なに寝ぼけてるの? 500万円? 夢でも見たんじゃない?」
昨日の大散財で部屋の中はちらかり放題だ。
勝五郎 「夢? 夢にしてはずいぶんとはっきりしていて……ってことはお金が当たったのは夢で、友達呼んで飲み食いしたのが本当……?」
おはな 「そうだよ。夢だったんだよ」
勝五郎 「そうだったんだ……。Xでお金が当たる夢を見たなんて、流石に落ちるところまで落ちたな。よし、もう酒をやめて仕事を頑張ろう」
すっかり反省した勝五郎は改心。締め切りを破っていた原稿を謝罪とともに納品し、さまざまな出版社やWEBメディアの編集部に企画書を持ち込んだ。空き時間で書いた有料のnoteも好評だ。

3年もしないうちに複数の連載を抱え、書籍も出版するようになった勝五郎。おはなもフリーランスのカメラマンとして人気だ。大晦日、苦労話をしていると除夜の鐘が鳴り出した。

勝五郎 「3年前まではカップ麺だったけど、今年は天ぷらそばをウーバーしようか。ここまで来れたのもおはなのおかげだよ。実は言いたいことがあって、結婚してください」
おはな 「ありがとう。でも実は、その前に私の方からも言いたいことがあるんだけど」
おはなはスマホの画面を見せる。そこには「預金残高500万円」と書かれていた。
勝五郎「随分大きな案件をやったんだね」
おはな 「いや、そうではなくて。3年前に勝五郎が貰ったお金、夢じゃなかったんだよ」
勝五郎 「どういうこと?」
おはな 「一回冷静に聞いてほしいんだけど、あの時500万円で遊んで暮らすっていうから心配になったんだよ。勝五郎がダメになると思ったし、そもそもそんな大金、マネーロンダリングか闇バイトに違いないから。でもあの場にいた弁護士の友達に聞いたら、本物の大富豪が道楽でやっていただけだった。勝五郎が寝ている間にスマホを勝手に操作して、私の口座番号を入力したんだ」

勝五郎 「俺のパスワード知ってたの?」
おはな 「それもごめん。でもリボ払いが怖すぎて手段を選べなかった。怒ってくれていいから」
勝五郎 「よく分かったよ。でもこうして正月を迎えることができるのは、みんなおはなのお陰だから、むしろありがとう。改めて、結婚してください」
おはな 「ありがとう。嬉しいことを言ってくれるね。実はしばらくお酒飲んでいなかったから、久しぶりに一杯飲んでもらおうと思って用意してあるんだよ」

勝五郎 「冷蔵庫に瓶ビールがあったのはそういうことだったのか。じゃあ、グラスを出すね。……お酒なんて久しぶりだなあ……この泡がたまらない。あ、でも待って……」
おはな 「どうしたの?」
勝五郎 「やっぱり飲むのはよそう。また夢になるといけない」

設定も口調も令和にスライド。リミックスの裏側
――大胆で見応えのあるリミックスでした。こだわった点はなんですか?
設定は令和の世相を踏まえ、思い切って変えました。まず2人は未婚で、定職についていないカップルにしています。女性に名前がついていないのも今っぽくないので、「おはな」に。口調も江戸弁から現代的な言葉遣いに直しました。
あと、勝五郎のどうしようもない感じを分かりやすくするため、彼女がアルバイトをしているのに、仕事もせず家でずっとSwitchとかをしている人に変えています。でも時代設定や価値観を令和にスライドさせたら、誇張ではなくこういう人になると思うんですよ。

――勝五郎の職業がライターになりましたね。
一般企業で派遣から正社員登用という流れも考えたんです。でも、それだとストーリーとしては堅実すぎる気がして。こういうときは、誰かの実体験をベースにイメージを膨らましていった方が説得力が生まれると思うんです。“私に取材をしてもらっている”という今の状況を踏まえたら、フリーランスのライターが適任だなと(笑)。
――毎日Switchをして、飲み歩いて、締め切りを守らないフリーライターですね(笑)。ぐっと想像しやすくて嫌な存在になりました。財布を拾うところもXでお金配りに当選するところに変わりましたね。
「両」という通貨単位もイメージが湧きにくいですし、キャッシュレスの時代ですから。今、大金がポンと手に入るリアルな理由といえば、Xのお金配りじゃないでしょうか(笑)。
――逆に変えなかった部分は?
ストーリーの大筋と、大晦日の描写はほぼ一緒ですね。エモーショナルな部分は時代を問わず伝わると思うんです。

匂い立つ人間らしさを楽しむ。南海さんが惚れた落語の世界
――南海さんが落語に触れたきっかけはなんですか?
もともと音楽やお笑い、映画などのエンタメ全般が好きで。ずっと掘り続けていると、古典芸能にたどり着く瞬間があるんですよ。自然な流れとしてエンタメのいちジャンルとして落語を楽しんでいました。
――落語家を目指したきっかけは?
大学1年生の時、「新宿末廣亭」で、のちの私の師匠である桂小南を見たからですね。その日の寄席はちょっと特殊で、落語家ではなく講談師が多く出演していたんです。しかもトリは人間国宝の神田松鯉先生。お客さんも彼をはじめとする講談師が目的の人が多くて、落語家が完全にアウェイだった。でも師匠が高座に上がった途端、お客さんの心をグッと掴んだんです。そこに私もシビれてしまって「弟子入りしたい!」と。後日、直談判しにいきました。

――弟子入りを志願した時、小南師匠はどのようなリアクションでしたか?
とにかく驚かれました。というのも、私が落語会に入門するには退路を断たないといけないと勘違いしていたんです。もともと大学は中退する予定だったのですが、「アルバイトも学校も辞めてきたから弟子にしてほしい」と。師匠からしたら脅迫ですよね(笑)。
――落語家は下積み時代が大変という話も聞きます。
そうですね。ただ、入門した時期がコロナのど真ん中だったんですよ。例えば弟子の仕事である寄席の準備を、通常よりも少ない人数でやらないといけなかったり、接触制限で他の師匠に顔を覚えてもらう機会が少なかったり。もしかすると他の落語家さんとは苦労の仕方がちょっと違うかもしれないです。
――2024年には二ツ目(寄席で2番目に高座に上がる人。3〜5年ほどの下積みを重ねてなることができる)に昇進しました。
コロナの影響もあって、私と同じタイミングで入った門下生は3人だけ残ったんです。頑張ったという感覚はなくて、ただ図太く続けられたのが大きいかなと思いますね。

――そこまで夢中になれる落語の魅力とはなんでしょうか?
着物をまとって、座布団の上で、手ぬぐいと扇子だけで演じるというシンプルさですね。制約が少ないからこそ、演者のキャラクターが立ちやすいんです。その中で自分らしさを思い切り表現したり、逆に自分らしさを削ぎ落とすことで逆に個性が匂い立ってくる場合もある。その生身の人間らしさがたまらないんです。
どう“気持ちよくなる”か。落語を通して考えるお金の話
――南海さんにとってお金はどのような存在でしょうか?
格好つけているみたいですけど、お金が欲しかったらまず落語家にならないですよね。自分が楽しく生きていけることが第一で、お金はそのための手段の一つだと思います。

――お金そのものよりも、その先にある実現したいことの方が大事ということですね。ただ、今は稼ぐことがどうしても目的になってしまいやすいがちです
現代社会においては“幸せの課金要素”が大きすぎますからね。
――桂さんは何にお金を使っていますか?
お酒が飲めないので、いい紅茶やコーヒーを買っています。私の価値観では、かけたお金と気持ちよさが一番分かりやすく比例するのが食べ物や飲み物だと思っていて(笑)。

あとはあまりお金がかからない趣味として、友達の友達とか、さまざまな年代の人と会うのも好きです。
――どのような話をしますか?
本当にさまざまですが、印象的だったのは、お金をとにかく欲しがっている人と話したとき。SNSなどにある分かりやすい“幸せ像”に近づこうとしていたんです。お金そのものに価値を見出していたという意味では、「芝浜」の勝五郎の最初と同じですよね。もちろん、それを良し悪しで判断するわけではありません。

突き詰めると、何に価値を見出すかって、自分がどれぐらい気持ちよくなれるかとほぼ一緒だと思うんです。お金そのものに快楽を得る人もいるだろうし、自己表現するだけで楽しい人や、誰かの役に立つことが生きがいの人もいる。それぞれの稼ぎ方があると思います。
最初に大金を手に入れた勝五郎か、3年後に蕎麦を啜る勝五郎のどちらがしっくりくるか。お金と向き合うということは、自分にとってどんな状態が気持ちいいかを考えることなのかもしれないですね。