もし、内閣総理大臣になれたとしたら、どんな政策を掲げるだろう? 日頃からモヤモヤしていることや、現実的ではないけれど「あったらいいな」と思うこと。ぜんぶごちゃまぜにして、思いきって発信してみよう!
今回、理想の政策を教えてくれたのは、文筆家の伊藤亜和さん。「これが当たり前だから」と受け入れるのではなく、「これがいい」と考えたことを実現できる社会にしたい。そんな想いから生まれた、彼女の政策とは?

伊藤 亜和
1996年横浜市生まれ。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)で注目を集める。2024年6月に自身初の単著『存在の耐えられない愛おしさ』を出版。
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ケンタッキーのチキンには、サイ(腰)、ウイング(手羽)、キール(胸)、リブ(あばら)、ドラム(脚)の5つの部位があるんです。なかでも私は、比較的脂を感じるドラムとサイが好きで、週2、3のペースで買ってたときもありました。
でも、ケンタッキーって基本的に部位が選べないんですよね。たまに希望を聞いてくれる店舗もあるけど、都内ではほぼなくて。同じ料金を払って、食べたくない部位が出てくるかもしれないって、けっこう当たり外れがあるじゃないですか。だから「もし権力を手に入れたら、国中のドラムとサイを独占したい」ってずっと思ってたんです。
私が総理大臣になったら、部位ごとに値段を決めて自由に選べるようにします。ドラムは若い人に人気だけど、ウイングは年配の方が好きだったりするので、意外と需要は散らばるんじゃないかなと。

すべての猫が、健康で穏やかに過ごせる場所を作りたいです。捨てられたり、保健所に連れていかれたり、そういう人間の都合でひどい目に遭う猫たちを保護できる場所があったらいいなって。
理想は、猫たちが自由に歩き回れる自然公園みたいな場所。無償だと変な人も入ってこれちゃうから、ある程度の入場料を設定して。猫を飼いたくても事情があって飼えない人が、管理や運営に関わっていけるといいと思います。
それから独自の審査基準を設けて、猫の譲渡もできたら理想です。今の譲渡会の審査って、独身や一人暮らしというだけで、なかなか通らないみたいなので。

私、地域の縁日とかお祭りが好きなんです。大きなお祭りよりも、なんかすごく個人的な感じがするというか。友だちに会えたり、近所のおじいちゃんが屋台を出していたり、プチ同窓会みたいで楽しいなって思います。
子どもの頃は夏休みもあったし、それこそ「もういくつ寝るとお祭りだ」って開催日を意識できてたんですけど、大人になると気づいたら終わっていることが多くて。それが悲しいので、もっとちゃんと開催することを知らせてほしいです。
掲示板だと見ないので、地域のお祭り専用のアプリをつくるとか? 地域の縁日とかお祭りの情報がまとまっているページがあると助かりますね。

大学生のとき、通学で使っていた電車が毎朝満員で、かなり辛かったんです。人がギチギチで、貧血で倒れたりとかして。その頃から「なんで電車って、こんなに座れないんだろう?」って思ってました。
だから、まずは満員電車を緩和させるために、電車を2階建てにしたいです。これ、たしか小池さんも言ってた気がします。
それが無理なら、企業にフレックス出勤とかリモートワークを推進するように働きかけるとか。いっそ電車の本数を減らして、リモートワーク体制にせざるを得ない環境を作っちゃうとか。これはちょっと力技ですけど……。
そのうえで、座席をぜんぶクロスシートにして、朝食をオプションでつけたい。朝食は、ゆで卵とパンのセットで300円ぐらい。ウェブで申し込んだら乗車時に提供される感じで。そしたら、旅行気分になって出勤のモチベーションも上がるんじゃないかな。

幼い頃から芸術鑑賞の習慣がついていれば、大人になっても継続的に芸術を楽しめると思うし、視野も広がって、いろんなことを考えるきっかけになるんじゃないかなと。私自身、子どもの頃から芸術に触れてきて、そう感じています。
学校で芸術を鑑賞する機会はあるけど、どうしても「連れて行かれた」という感覚になりがちなので、もっと自主的に行けるシステムにしたいですね。3か月に1回、タブレットやスマホで簡単な診断をすると、AIがおすすめをいくつかピックアップしてくれて、そこから選べるとか。
芸術を楽しむ文化が、これからもちゃんと残っていってほしいなと思います。

私、暇さえあれば、SNSを見ちゃうんです。自分でも何を見たいのかよくわからなくて、もう癖みたいな感じ。
SNSを見ていると、他にやりたいことがあるかどうかすら考えられなくなるというか、落ち着いて何かをしようって発想自体、削がれていく感じがするんですよね。執筆してても1行書いては10分SNSを見る……みたいな状態で、自分ではもうどうにもできないので、政策を打ち出して強制的にやめたいです。
たとえば、1日のSNSの利用時間を合計3時間までに制限する。そしたら、SNSを見る時間も減って、結果的にみんなが自分の幸福を追求できるようになるんじゃないですかね。ネトフリはSNSじゃないので、セーフにしましょうか。

バスって電車より遅れることが多いじゃないですか。でも、遅延証明書の発行は運行会社に委ねられているから、私がよく乗るバスは遅れても何もないんです。
それで証明書を持たずに遅刻すると「遅れることも予想したうえで行動しなかったお前が悪い」みたいになって。そのたびに「そんなわけない」と思うので、全公共交通機関に対して遅延証明書の発行を義務化したいです。

祖母の出身地である青森県の津軽地方には、毎年訪れてるぐらい思い入れがあります。でも、もし祖母が亡くなったら、この土地とのつながりもなくなってしまう。そう考えるとすごく寂しくて、住んでいない土地と心理的につながれる制度があればいいのにって思うようになりました。
そんなときに知ったのが、この「ふるさと住民登録制度」。これは、関心のある市区町村を「第二のふるさと」として登録して、その地域とつながりが持てる制度なんですが、まだあまり知られていないうえに、参加している自治体もとても少なくて。
だから、もっといろんな人に活用してもらえるように、参加自治体を増やしたり、この制度を広めたりしたいですね。地域活性化にもつながると思うし、自分のルーツを後世に伝えていくきっかけになると思います。

日本の難民認定率って、世界的に見てかなり低いんです。しかも、審査基準がかなり不透明で、審査に落ちてもその理由は通告されない。それをずっと疑問に感じていました。
だから私は、裁判員と同じように、国民の中から難民認定の審査をする「認定員」を選出する制度を作りたくて。審査基準を完全に透明化したうえで、専門家と一般の人が一緒になって、申請者の難民認定について話し合う場を設ける。そうすることで、審査の過程をオープンにできると思います。

会社員の恋人は、フルリモートということもあって、ほぼ毎日パソコンの前に座りっぱなしなんです。最近は、キッチンにまでパソコンを持って行ったりしていて。でも、何しているのか聞くと「これは仕事じゃなくて趣味でやってる」って言うんですよ。本人は楽しそうなんですけど、いつか爆発するんじゃないかと心配してます。
土日になると「今日は休みだから出かけよう」って連れ出しやすくなるので、もう1日ぐらい休みを増やしたいなって。「休みが増えたら仕事が終わらなくなる」って声もありそうですけど、そんなことで終わらない仕事は、そもそもやらなくていいんじゃないかな。
休みを増やすなら、月曜日を休みにして3連休にしたい。水曜日を休みにするって意見もありますけど、それだと逆に仕事の勢いが止まっちゃいそうな気もするので。
自分が実現したい政策を挙げてみたとき、「考える」という行為に重きを置いていることに気づきました。
自分にとって本当に良いと思える選択肢ができるように「考える」機会をつくること。
忙しい日々のなかでも立ち止まり、ゆっくりと思いを巡らせるような「考える」時間をもつこと。
自分のことだけでなく、他者の状況や気持ちを想像する「考える」姿勢を育てること。
私が掲げる「“考える”社会に!」というスローガンには、そんな思いを込めています。
Text&Edit:しばた れいな