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誕生50周年!

伝説のスーパーカー、ランボルギーニ「ミウラ」を試す

author: 山崎元裕date: 2021/06/16

1970年代後半、日本の少年たちが狂喜乱舞した“スーパーカー・ブーム”というものがあった。社会が豊になって、クルマが実用品から嗜好品へと変わりつつある時代に生まれたのがスペシャルティ・カーであり、その中でも、フェラーリやランボルギーニといった超ド級のスペックを誇るスーパー・スポーツカーを“スーパーカー”と呼んだのだ。スーパーカー超王の異名を採る山崎元裕氏が、当時の少年たちに絶大な人気を誇った幻のスーパーカーであるランボルギーニ「ミウラ」を試した。

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ミウラ初のマイナーチェンジが施された「ミウラS」では、ミッドに搭載される4リッターV型12気筒エンジンにスープアップが施されて、385psの最高出力を誇る。

伝説のスーパーカーの誕生から50周年

 1963年に設立されたランボルギーニにとって、大きな転機となった一台といえば、それはV型12気筒エンジンをミッドシップするという斬新なメカニズムを採用してデビューした、「P400ミウラ」をおいて、ほかにはないだろう。2016年は、このP400ミウラが誕生して、50周年という記念すべきアニバーサリー・イヤーだったわけだが、ランボルギーニはそれを祝して、さまざまなイベントを計画してくれた。そして筆者は幸運にも、「ザ・イタリアン・ジョブ・リローデッド」のタイトルのもとで開催されたイベントに参加することができたのだ。

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いかにもスーパー・スポーツカーといった雰囲気を醸す
「ミウラS」のコックピット。

1969年に公開された映画、「ザ・イタリアン・ジョブ」は、日本では「ミニミニ大作戦」の邦題で知られているが、その冒頭には1台のP400ミウラが登場するシーンがある。今回のイベントは、このシーンのロケ地となった、北イタリアのサンベルナール峠で、ランボルギーニのオフィシャル・ミュージアムである、ムゼオ・ランボルギーニが所有する2台のミウラの走りを、道路、すなわちその峠を完全に封鎖して自由に楽しむことができるという、実に刺激的なものだった。用意されたのはS/N:4644のP400ミウラSと、S/N:5092のP400ミウラSV。ミウラはその生涯の中で、2度のマイナーチェンジを受け、P400ミウラS、そしてP400ミウラSVへと進化を遂げた。今回実際にステアリングを握ったのは、ミウラの最終進化型となったP400ミウラSV。ミッドのV型12気筒エンジンは、4Lという排気量にこそ変化はないが、キャブレターやカムシャフト、あるいは圧縮比の向上等々のよって、385psの最高出力を得るに至っている。参考までにファーストモデルのP400ミウラは350ps、それに続いたP400ミウラSは370psというスペックだった。

優雅なスタイルとスパルタンな乗り味

用意された2台のミウラから、SVをチョイスしたのは、やはりそれが最も高性能なミウラであることと同時に、グラマラスなリアフェンダーや、ヘッドランプまわりのまつ毛がなくなり、より精悍な印象となったフロントマスクなど、SVに独自のアピアランスが、あのスーパーカー・ブームの時から好みだったからだ。もちろんこれまでにも、ミウラのステアリングを握ったことは何回かある。けれどもそれは、いずれもドライブするというよりは、取材のための移動といった性格のもの。今回もドライブ前には簡単なコックピットドリルがあるとは聞いてはいたが、実際にはそれさえもなかった。そう今日一日は、一切の制約なくミウラのパフォーマンスを「あの峠」で体験できるのだ。そのようなチャンスは、おそらく二度とはないだろう。

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試乗に提供されたたのはS/N:4644のP400ミウラSと
S/N:5092のP400ミウラSV。

その優雅なスタイルとは対照的に、ミウラのコックピットはいかにもスポーツカーのそれらしく、スパルタンなテイストに満ち溢れている。コンパクトなシートに身を委ね、ベストなドライビングポジションを得た後に、クラッチペダルを踏み込み、ミッドに横置きされるV型12気筒エンジンをスタート。メタルのゲートが刻まれた5速MTのフィールにも十分な剛性感があり、それを1速にシフトしてクラッチペダルを離すと、P400ミウラSVは実にスムーズに動き始めた。さすがはムゼオ・ランボルギーニが所有するモデルだけに、アクセルペダルをどのように踏み込んでも、リアミッドのV型12気筒エンジンはドライバーの意思を即座に理解して、必要なパワーを生み出してくれる。

ドライブに慣れて自分自身に余裕が生まれてくると、徐々にスーパースポーツとしてのミウラの魅力を感じることができるようになってきた。SVではパワーアップに対応して、サスペンションにもさらなる強化が図られているが、ブレーキングからステアリングを切り込みシフトダウン、そしてロールが発生し、それが落ち着いたところでアクセルペダルを再び踏み込むという一連の動きが、狙いどおりの調和を見せた時の感動は、さまざまな電子制御デバイスで守られた現代のスーパースポーツで感じるそれよりも、はるかに大きいことを確認させられた。

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「ミウラS」と「ミウラSV」が並んで峠を走り抜ける。
ごくわずかな生産台数ということもあって、
貴重な2台が揃うことは珍しい。

諸説はあるものの、ランボルギーニ・ミウラは、スーパースポーツの始祖のひとつと考えられるモデルでもある。レースへの参加を想定せずに、しかしながらV型12気筒エンジンをミッドシップするという斬新なメカニズムを、誰の目にも流麗に、そして美の極致ともいうべき造形のボディーで包み込んだミウラ。ミウラの誕生は、確実にスポーツカーの世界に、新たな流れを生み出したのだ。そしてそれはいつしか、スーパーカーと呼ばれるようになった。

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峠を駆け抜ける「ミウラS」の勇姿。
生産から50年が経ったと思えないほど、
色あせないスタイリングを持つ。

ランボルギーニの真髄が、今も息づく

ランボルギーニと同じ、1963年に生まれた筆者にとって、1970年代の半ばに日本中を熱狂の渦に巻き込んだスーパーカー・ブームは、まさにその後の人生を変える大きな転機だった。この時にカウンタックとともに、ランボルギーニの名を広く知らしめる原動力となったミウラ。そのパフォーマンスを、素晴らしいロケーションとホスピタリティで楽しむことができたこの時のイベントは、まさに感無量の一語に尽きた。まもなく訪れるランボルギーニの創立60周年。はたして彼らはそれに向けて、どのようなイベントやニューモデルを用意しているだろうか。

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モータージャーナリスト
山崎元裕

青山学院大学卒。中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、以後毎日のようにスーパーカーのことを考えて生きている。そんなスーパーカーが続々と誕生する、世界各国のモーターショー取材は何よりの楽しみであるが、もう1年以上は海外に足を運ぶことができず、最近は欲求不満気味の59歳。
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