プロスポーツ界の最前線で戦うスポーツジムが作った中学野球チームは、はたして令和の“がんばれベアーズ”のような、ドラマティックな結末を迎えることはできるのだろうか? この物語はこれからどちらに転ぶともわからない、現在進行形で進んでいる完全ドキュメントな“野球の未来”にかかわるお話である。野球作家としてお馴染みの村瀬秀信氏が、表に見えるこどもたちのストーリーと、それを裏で支える大人たちの動きや考えを、それぞれ野球の表裏の攻撃守備ように交互に綴っていく。
〜 延長戦 先輩たちの背中を追って 2025年・夏 〜
3期生、再び「ポニー代表」に選ばれる!横浜スタジアムに帰ってきた日
僕らはまたこの場所に帰って来た。横浜スタジアム。2025年8月17日。

第13回目となるベイスターズカップは、神奈川県のシニア・ボーイズ・ヤング・ポニーの代表が、中学硬式野球クラブの№1を懸けて戦う頂上決戦だ。ブラックキャップスは2年ぶり2度目の出場。僕らは1期生が拓いてくれたこの道に再び帰って来ることができた。
昨年はたった一人の2期生・コウがキャプテンを務め、神奈川に転籍してきた強豪SKポニーに敗れ出場権を逃してしまったが、今年はそのSKを代表決定戦で破ってポニーの代表に選ばれた。
“その他大勢”だった僕らが掴んだチャンス 憧れの3年生と同じ舞台に立つ
あの時、1年生だった僕らは、遠くの存在に思えていた3年生と同じ“挑戦”の舞台に今立てている。

このベイスターズカップでポニーのチームが優勝した前歴はない。出場枠にしてもチーム数の多いシニアとボーイズが出場3チームずつに対して、ヤングとポニーは1チームのみ。
歴代の優勝チームはシニア・ボーイズの独壇場だったこの大会で、目指すは先輩たちの悲願でもあった“ジャイアントキリング”を起こし、ポニーのチームとしての初めての優勝を勝ち取ることだった。
初戦の相手は100人超の横浜都筑シニア 無名集団 vs 王道エリート
トーナメントの初戦は横浜都筑リトルシニア。創部11年目の新鋭ながら100人以上の部員数を誇る成長著しいシニアリーグの注目チームだ。

しかし僕らだって負けていない。2年前の春、僕ら14人はブラックキャップスの3期生として入団した。小学生時代はまったく実績がない”その他大勢”の野球少年だった1期生たちが、このチームのトレーニングで成長していることを知り、「自分たちも」と集まってきたメンバーたちだ。その中には小学生時代にリトルリーグで全国優勝を果たしたエースのアキヒロ、キャプテンのタカヒロを筆頭に、小学生時代に相当鳴らしたやつらもいる。
さらに僕らが幸運だったのは、上級生がコウ先輩ひとりだったこと。1期生が引退してからの僕ら3期生は下級生ながらほとんどの試合に出場して、上の世代を相手に互角の戦いをしながら、実戦経験を積むことができた。
自慢のえぼし岩打線が大爆発!10対3の見事快勝した
直前に開催されたポニーリーグの北日本選手権大会でも優勝を果たして勢いに乗る僕らは、このベイスターズカップに万全の調整で挑んだ。

先発は当然エースのアキヒロだ。小学生の頃から圧倒的な才能と実績を持っているピッチャーだけど、このチームのエースとして2年間身体も心も着実に進歩を遂げてここまできた。
初回、ブラックキャップスは幸先よく1点を先制するも、その裏まさかの2点を獲られ逆転を許してしまう。さらには3回にも追加点を奪われ3対1。アキヒロは本調子ではないものの、それ以上の失点を許さず5回を終わって2点ビハインド。
あと2回となったところで、自慢のえぼし岩打線に火が着いた。6回に連打で4点を獲り逆転すると、7回には一挙5得点。ピッチャーは6回からシュウが完璧に抑え、終わってみれば10対3の快勝。この試合にはリクト、タイシ、ソウスケ、ユヅキたちも出場し、3年生全員が横浜スタジアムのグラウンドを体験できたのもうれしかった。





ちなみに茅ヶ崎のシンボル”烏帽子岩”は戦時中に演習場として、大砲やら機関砲やら大小火薬が大量に打ち込まれて今の形になったという。1番カズマ、2番ミズキ、3番イオリ、4番ヒカル、5番リョウセイ……と、足も使えれば長打もある僕らの打線を表すのにぴったりである。

準決勝の相手は名門・中本牧リトルシニア 下馬評は最悪。「勝てるわけない」を覆す
準決勝は、1カ月の間が空いて9月13日に準決勝と勝てば決勝戦も行われる。
勝ち上がってきたのは神奈川の中学クラブチームの老舗にして超名門、「中本牧リトルシニア」だ。プロ野球選手も星の数ほど輩出し、ベイスターズカップには8回出場し6度も優勝している大会の本命と目される強豪だ。さらにこれに勝てたとしても、決勝戦は順当に上がってくれば1期生が破れた同地区の宿敵・湘南クラブが相手になるだろう。ブラックキャップスの下馬評は限りなく低い。創部5年目のそれこそよちよち歩きの“ポニー”のチームが、それらの強豪に勝てるわけがないと、誰もがそう思っていただろう。

「やるべきことはやってきた」フィジカルもメンタルも“別人”になった3年目
だが、この1カ月の間。僕らには信じるものがあった。これまでやってきた守備・打撃・メンタル、積み重ねてきたことは間違いじゃない。
「やるべきことはやってきた。相手がどこだろうと必ず勝てる」。
試合の前日、阪口監督の景気づけの言葉に僕らは大声で応えて試合に臨む。ただひとつ。心配なことがあった。1週間前からエースのアキヒロのひじが思わしくないというのだ。アキヒロが投げられないのは正直キツイ。だけど、みんなでつないで行けば必ず勝てる。

9月13日。準決勝の中本牧シニア戦。先発は成長著しい左腕のイオリに託されたー。
目が覚めるようなブルーに”YOKOHAMA”の白文字。その出で立ちだけでビビってしまいそうになる中本牧のユニフォーム。強豪然りとした着こなしと身体の威圧感からは、”ポニーのチームになんて負けるはずがない”という自信が溢れている。
だが、僕らだって身体の大きさは負けていない。この3年間のフィジカルトレーニングでチーム平均で身長は14cm、体重は22kgアップして全国のどこにも見劣りしない威圧感を手に入れたのだ。


準決勝:4-3 神奈川の王者を撃破 ジャイアントキリングの瞬間
試合は先発のイオリがコースを丁寧に投げ分け、3回までは無失点と序盤は完全な投手戦。4回表中本牧はヒットとフォアボールで1死1,3塁のピンチ。一塁ランナーがスタートを切るも、ミズキとトモキの二遊間阿吽の呼吸と、キャッチャータカヒロの強肩で見事に刺して安堵したのも束の間、中本牧は続く打者でダブルスチールを仕掛けてきて成功。先制点を奪われてしまう。
それでもすぐ裏にはカズマのチーム初ヒットを皮切りに二死満塁のチャンスを作ると、タカヒロの三塁線を抜くタイムリーで逆転。だが、さすがは中本牧シニア。5回には再び簡単に追いつかれ、中盤戦は一進一退の攻防が続いた。

再逆転のタイムリーを放ったのは、2番のミズキだ。6回には4番ヒカルの決定打となる右中間への大三塁打で追加点を挙げると、イオリからバトンを受け継いだ2番手シュウが粘投。追い縋る中本牧シニアは最終回1点を奪い、尚もピンチで4番を迎えるも、ファーストゴロ。難しいバウンドをヒカルが捌き、ベースカバーに入ったシュウにトス。バッターランナーは一塁へ頭から突っ込む。際どいタイミングだ。塁審の右手が上がった。
やった!
その瞬間、ハマスタのベンチから全員が飛び出した。スタンドからは1年生や両親たちが大声で叫んでいる。
4-3
阪口監督が一緒になってはしゃいでいる姿が見えた。僕らはわけがわからなくなるぐらいジャンプして、ガッツポーズをしながら、大きな結果を成し遂げたことを実感していた。創部5年目のポニーが、神奈川最強の名門にジャイアントキリングを起こしたのだ。
横浜スタジアムはお祭り騒ぎの一塁側をよそに、微妙な空気が支配していた。まさか、大会の大本命がポニーに負けるとは。大会役員のおじさんたちは明らかに苦虫を噛み潰したような顔をしていて、僕らは思わず笑ってしまった。
それでもこの試合は薄氷を踏むような勝利だった。4回に先制点を取られた時、逆転しても同点に追いついて来る中本牧の迫力は本物のそれで、点が入るたびに球場の空気は中本牧に傾いていくようだった。
逆転されそうなピンチだって何度もあった。5回には2年前にリズムを狂わされた“因縁”のボークをまたしても宣告されたが、それでも諦めなかったのは、最後まで戦うことを貫いた、先輩たちのあの夏があったからだ。
2年前の伝説――「1期生の夏」あの壮絶な11失点から始まったすべて
2年前――。
それは1期生の最後の夏の全国大会。その壮絶な戦いの姿は今でも僕たちの間で伝説として語り継がれている。

●●●2023年7月22日 1期生最後の夏。
真夏の太陽が容赦なくマウンドのユウギを照り付けていた。
おそらく体感で40度はあるだろうその孤独な空間は、これまで経験したどのマウンドよりも地獄のような場所だったに違いない。
千葉県市原のゼットエースタジアムのスコアボードには、1回裏に「11」という見慣れない数字が入っていた。
ポニーリーグの全国選手権大会1回戦。
福岡県代表の博多南シャークス。140キロを投げるとんでもないエースがいる強豪だ。ブラックキャップスはそんなピッチャーを相手に初回11失点というビハインドを背負ってしまう。かつて経験したことのない絶望。“ジャイアントキリングを起こす”を合言葉にして、3年間一歩ずつ階段を登り成長してきた、その総仕上げともいうべきこの全国大会で、いきなりどん底に突き落とされていたのだ。

もともとこのチームにはケンタロウぐらいしか上手な選手はいない、吹けば飛ぶような雑草の集まりだった。最初の頃はストライクもまともに入らずに試合をすればコールド負けばかり。挨拶すらろくにできず、相手チームに失笑されていたと後になって聞いた。それが半年経ち、一年が経つうちに、身体の成長とともに結果もついてきて、3年生の春にはベイスターズカップに初出場。気がつけば「自分たちはやれる」という自信が芽生えはじめていた。
エース・ユウギと仲間たちの地獄「父のチームの息子」としての孤独
それらがすべて無になるような、心を打ち砕かれる初回11失点。エースのユウギは大会の前から右ひじに違和感を感じ、試合前には痛み止めを飲んでマウンドに登っていたが、プレーボールの1球目から本来のボールは投げられないことを悟っていた。結果は0回1/3、6失点。
その失意はどれだけのものだったろうか。ただこの初回、違和感があるのはユウギだけじゃなかった。先頭打者のショートゴロをケンタロウが難なく捌いたのにセーフになってしまったこと。オノマがつづけてファンブルしてしまったこと。ユウギの後を受けたガクが2連続で押し出しをした直後に、キシがレフト前ヒットを後逸して満塁のランナーが全員帰ってきてしまったこと。
夏の魔物に睨まれてしまったかのように浮き足立つみんなの姿を、マウンドを降りてベンチに戻って見ていたユウギは、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えながら見ていた。
「まだ1回だ。諦めないぞ」
ベンチのキャプテン、キズナがそう言って励ましてくれる。
思えば逆境からはじまったブラックキャップスだ。いきなり11点差というのもうちらしいじゃないか。常識で考えれば、ここから本気で逆転できるなんて言うやつはよっぽどめでたいやつか野球を知らないやつだろう。
だが、ブラックキャップスというチームは違う。どん底から這い上がるメンタルを作り上げてきたのだ。

2回タカシの出塁をきっかけにハジメがセンター前に返すと、走者一掃のエラーをやらかしたキシリクトが走者一掃をやり返すスリーベース。ガクもレフト前タイムリーで3点を取り返す。
ユウギはここまで頑張ってきたのはみんな知っている。お父さんがオーナーの竹下である以上、ユウギだけが誰よりも怒られ、誰よりも厳しく接してこられたことをみんなが知っていた。
「最初の頃はね、フォアボールばっかり出して同じような負け方をして、冗談じゃないって。力もないのにお父さんのチームだから贔屓されて投げてるんだろうなんて思っていたこともありました」

チーム結成当初から最後まで3番ショーㇳを守り、「このチームはおまえのチームだ」と言われて育ってきたケンタロウは後にそう回想する。
「でもユウギは、誰よりも努力して自分の力でその場所を手に入れた。あいつ陰で相当練習していたと思いますよ。成長のスピードがそれだけ早かったですから。すごいやつですよ」
ユウギの失点は俺たちが返す。
ブラックキャップスは一丸になっていた。
19対10。それでも諦めなかった夏 伝説となった“敗者の試合”
だが、博多南も攻撃の手を緩めない。3回にガクから2点、4回にはテッペイから4点を奪い、17対3という容赦ない得点差が絶望の波を強くする。

それでもまだまだ。必死になって食い下がった。
4回、ガクが右中間にランニングホームランを飛ばすと、ワッチョとコウがフォアボールで作った満塁のチャンスにタカシがレフト前タイムリーで応える。
続く5回にはまたしてもガクが右中間にタイムリースリーベースを放つと、ワッチョとケンタロウも連続タイムリーで5点。さらに6回もハジメ、キシリクト、フカイリクトの連打とガクのフォアボールで10点目が入る。
7点差まで来た。驚異的な追い上げを見せるブラックキャップスに、球場の空気が逆転を期待する熱を帯びはじめる。

「いいか、諦めないぞ。1回あれば7点取れる。絶対に勝つぞ!」
最終回はクリーンナップからの攻撃。だが、あっという間にツーアウトに追い込まれてしまう。
「キズナ、行ってこい」
5番タカシの打順に、キズナが代打で行くことを疑問に思う選手は誰もいなかった。出番のないベンチのユウセイやユウト、代打の切り札であるコタロウが自分のことのように大きな声をあげる。このチームを引っ張ってこれたのはキズナがキャプテンだったからだ。レギュラーを下級生に奪われても、最後までチームの為に何ができるかを考えてきた。11点取られたこの試合だって、最初から最後までずっと全員を励まし続けてくれたのはキズナだ。
俺たちのキャプテン。なんとしてでも打ってほしい。3年間の意地を見せてほしいーー。
だが、そんな願いも届かず、キズナの打球は力なくライトのグラブに収まった。

19対10。
筆舌に尽くしがたい壮絶な試合に、スタンドからは自然に拍手が湧いていた。勝敗であり、点差以上に人の心を打つ試合というものは存在する。どれだけ点差が開いても、最後まで諦めなかったブラックキャップスの執念に、グラウンドにはあたたかな拍手がいつまでも鳴り響いていた。
「このチームを信じていれば強くなれる」キズナの遺した言葉が、今も胸に刻まれている。
だが、負けは負けだ。
試合後の選手たちは全員涙が枯れんばかりに号泣した。ただ負けたことが哀しかったんじゃない。これだけ粘れる力をつけたのだ。なのに、自分があそこでミスしなければ。一本打っていれば。誰もが自分を責めた。選手たちの無念が痛いほど理解できる監督の阪口も、鬼の竹下代表までもがその目に涙を浮かべていた。

「2年生のコウ、そして1年生たちは僕らのように悔しい想いはしてほしくない。このチームを信じてやれば強くなれる。最後まで諦めずがんばってください」
キャプテンのキズナが最後にそんな言葉を後輩たちに託し、茅ヶ崎ブラックキャップス、1期生の夏はこうして幕を閉じたーー。
2025年、ブラックキャップス最後の決戦 ベイスターズカップ決勝・相模ボーイズ戦
そして、彼らの諦めない姿勢は、確実に後輩たちに受け継がれていた。
2年越しの頂上決戦、ベイスターズカップ・決勝戦がはじまる。
準決勝からのインターバルがわずか40分。熱戦の残り香がまだ消えないなか、第13回ベイスターズカップの決勝戦。茅ヶ崎ブラックキャップスに対するは、準決勝であの湘南ボーイズを逆転で破り勝ち上がってきた相模ボーイズだった。
1回表、ブラックキャップスは準決勝の勢いそのまま“えぼし岩”打線が集中砲火を浴びせる。1番から連打、連打であっという間に5点だ。
初回5点の猛攻――“えぼし岩”再点火 相模の反撃、136km/hの壁
しかし、相模ボーイズも諦めない。先発のリョウセイからカイセイと勝田兄弟リレーで抑えに掛ったが、2回に2点、4回に3点を返されて同点に追いつかれてしまう。

流れは完全に相模ボーイズだった。4回に走者一掃のツーベースを打った相模の3番打者が投手として登板した後は、最速136キロのストレートの前に打線は沈黙。
下位打線の奇跡──逆転の6回 つないだ打線が再び奇跡を呼ぶ。
初回以降点が入らないイヤな流れを断ち切ったのは下位打線だった。6回裏、ブラックキャップスは8番トモキがライト前に落とすと、9番途中出場のルカが続き、1番カズマが1,2塁間を破るタイムリー。さらにミズキのセンターオーバースリーベースなどで一気に3点を奪い逆転。
「勝負あった」
誰もがそう思った。
しかし、ブラックキャップスのブルペンに余裕はなかった。2試合続けての総力戦。7回を投げるピッチャーがいないのである。ベイスターズカップは1日80球という球数制限があり、1試合目に投げたイオリ、リリーフでフル回転したシュウは使えない。
「あとひとり」が遠かった「最後の3アウト」が最も難しい
厳しい選択だ。なぜなら、エースのアキヒロがまだ1球も投げずに残っていたのだ。右ひじに違和感があり、大事を取ってここまで野手として出場していたアキヒロだが、優勝が懸かった試合の、さらに1イニングぐらいなら――。
スタンドにそんな空気が広がる。

阪口監督の選択は、先発したリョウセイだった。

準決勝・決勝とここまでフル出場、先発でもすでに3回68球を投げていたリョウセイは、明らかに疲れの影響からボールの抑えが効かなかった。ここまで5人の投手を引っ張ってきたキャプテン、キャッチャーのタカヒロが必死に鼓舞し続け、内野陣もリョウセイを盛り立てようと声を掛ける。
野球とは、最後のアウト3つを取るのが最も難しいのだという。
すべての力を出し尽くしたブラックキャップスに、あと1イニングを凌ぎきる力は残っていなかった。
僕たちは、相模ボーイズの選手たちがマウンドに集まり「1」の指を高く掲げている姿を呆然と見つめていた。

栄冠はすり抜けても、心は折れなかった 負けても下を向かない。
あと一歩のところで栄冠はすり抜けていった。それでもチームとしての力を十分に見せつけることはできたのだ。試合後、責任を負って涙を流すリョウセイ以外の選手たちは驚くほど明るく、笑顔で傷ついた仲間を励ます姿は2年前とは大きく違っていた。やりきったと思えた。だから前を向ける。その敗戦後の姿勢は、この5年にわたるこの物語のひとつの結実を示していた。

勝敗はその時だけの一瞬の栄光なのかもしれない。僕らはそんなものより大切な経験や仲間を、この中学の3年間で得たのだ。1期生の先輩たちも、今ではそれぞれが進学した高校の最上級生となって、甲子園を目指している。
僕らには輝かしい未来があるという。今まではわからなかったけど、その未来に、この中学の3年間で得たものは必ず役に立つものと信じられる。
茅ヶ崎ブラックキャップス。そして僕たちの挑戦も、まだはじまったばかりだ。




























