21歳のタレント・奥森皐月。メディア出演の他、月に150本以上のお笑いネタを観て、週に30時間程度のラジオ番組を聞くというエンタメ好きを活かした雑誌の連載やnoteでの執筆も話題となっている。
そんな彼女が昨年綴った「恋愛が無理すぎることについて」と題したテキストを起点に、恋愛コンテンツや恋愛そのものの苦手さを紐解いてもらった。
私生活では、2年前に19歳で結婚。「恋愛が無理」なうえで大切にしている愛にまつわる考え方もあわせて伺った。

奥森皐月
2004年生まれ、東京都出身のタレント。幼少期よりNHK Eテレ『にほんごであそぼ』や、テレビ東京系『おはスタ』のおはガールとして出演。
現在は、年間100本以上のお笑いライブに足を運び、サブカルチャーや深夜ラジオにも深い造詣がある。その圧倒的な知識と分析力、独自の視点を活かし幅広い分野で活躍。
最近ではnoteでの執筆やPodcast、TikTokなどの配信も積極的に活動中。
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恋愛の「興味なさ」「好きじゃなさ」に向き合う
── 奥森さんは2025年7月に「恋愛が無理すぎることについて」というタイトルで、「恋愛が無理すぎる。人を好きになれないとかそういうことではなく、恋愛が見られない。恋愛そのものをおもしろがれる心がない」という書き出しのnoteを書かれていました。まず、そのテキストを書こうと思ったきっかけを伺いたいです。
奥森:じわじわと積み重ねがあって「書かなきゃ」と思ったんですけど、決定的な出来事もありました。『今日、好きになりました。』っていう、ABEMAの恋愛リアリティショーがあるじゃないですか。高校生たちが何日間かで恋愛をする、その番組出身の方たちがその後も活躍している、ということは私も知っていたんですけど、本編は目にしたことがなかったんですよ。
でも、ベトナムで撮影された「ハロン編」がバズっていて、SNSのおすすめで切り抜きが流れてきて。もともと自分は恋愛系のコンテンツが苦手だとわかっていたので基本的にそういったものは見ないようにしていたんですけど、受動的に触れて「本当に無理!」という感情が呼び起こされました。それで、無理な意見を書いておいてもいいかなと思ったのがnoteのきっかけです。
あともう一つ、ダウ90000・蓮見さんのラジオにAマッソの加納さんがゲストで出演した回があって、「お笑いって流行ってないよね。それに比べて恋愛はずっと流行ってるよね」という話をしていたんですよ。
人気のドラマで言ったら『東京ラブストーリー』(1991年)から『カルテット』(2017年)まで、ずっと恋愛じゃん、みたいな。他のコンテンツも恋愛にまつわるものが多いし、結局みんなが興味あるのは恋愛だよね、という会話を聞いて、「そうか、みんな恋愛に興味があるんだ」と思ったんですよね。そこで自分と世間との乖離を感じてびっくりして、いい加減、その「興味なさ」や「好きじゃなさ」に向き合おうと思ったのもあります。

── 奥森さんは、お笑いをはじめとするエンタメがお好きですが、コンテンツのなかには恋愛を扱うものも多いですよね。「恋愛を扱う創作物」の捉え方についても、あらためて伺いたいです。
奥森:それは自分のなかでも難しくて、具体的な線引きがあるわけじゃないんですけど……恋愛というイベントが発生したことを受けて作られたものは、そんなに苦手じゃないんですよ。それは、友達と喧嘩したことを受け止めて作られたものと変わらないというか。歌とかは結構そういうものだと思っているので、恋愛を歌っていてもなんとも思わないんです。
どちらかというとリアル寄りのものが苦手で、それこそ恋愛リアリティショーであったり、恋愛が核になっていて、出会って付き合うまでの映画とかドラマ、漫画とか小説であったりは、やっぱり苦手ですね。アレルギーみたいなものなんですけど。
── 楽しむのが難しいということですよね。
奥森:そうですね、素直に楽しめない。特に10代の頃は一切受け付けなかったんですけど、ここ1〜2年は流行っているものは観たほうがいいという気持ちも若干あって。『花束みたいな恋をした』とか、恋愛を題材とした映画を観てみたものの、やっぱり根本的に得意じゃないので、好きになったりはできないな、という感想です。ホラーが苦手な人がホラー映画を観るみたいなことになってしまいます。
── たとえば群像劇のなかで恋愛も発生するとかだったら楽しめる可能性があるのでしょうか。
奥森:そういうものは観られるんですけど、要素として少なめでも恋愛を見せることを目的としている部分がある作品は自分から観たいとは思わないのと、恋愛が出てきてもあんまりおもしろいと思わない。こことここが好き同士でした、みたいなのも「ああ、はい。わかりました」みたいな気持ちになってしまいます。
「だめだろう、そんなの!」恋愛は異常事態
── noteには「恋愛をしている人が通常はしない言動をしている様子への嫌悪感がある」とも書かれてて、それは共感する人も多そうだと感じました。そのうえで、いわゆる恋バナや恋愛モノのコンテンツを楽しめるかどうかの違いが気になるな、と。
奥森:トマトが嫌いな人になんで嫌いなの? って聞いてもどうしても食べられないのと同じように「どうしても無理」と思っていたところもあったんですけど、分解していくと説明がつくんですよね。
もしかしたらちょっとわかってもらえるかもしれないんですけど、たまに駅とか公衆の面前で、めっちゃイチャイチャしてる人がいるじゃないですか。そういう周りが見えていない人たちに遭遇したとき、「うわあ」ってなる感覚が、恋バナや恋愛モノのコンテンツに対してもあるんです。大人なので「おえー」とは言わないですけど「うわあ」とはなってしまう。
知らない人同士が自分たちの世界に浸って周りが見えなくなっている様子を見せられても……という楽しめなさです。
片思いの状態で、好きな人のSNSを遡って交友関係を考察するとか、付き合ったらどうなるんだろうと想像するとか、勝手に相性占いしちゃうとか、先走っているのを見るのもつらいですね……。あとは、好きな人がバイト先の人だとして「お疲れさま」って言われただけで「私のこと好きなのかもしれない」と思うとか、そんなわけないのに! 「好きな人が松田龍平に似てて」と言ってて、いざ本人を見せてもらったら美化しすぎていて、似ても似つかないとか! もう、正常な状態ではないですよね!? 「だめだろう、そんなの!」という。異常事態だと思ってしまうんですよね。

── 「相性占い勝手にやっちゃう」みたいな行動に共感できなくて嫌なのか、それとも自分もそうなってしまう可能性があるけれど冷静に考えるとおかしいから嫌なのか、でいうとどちらなのでしょうか。
奥森:後者ですね! 普段の自分が好きだからこそ、普段の自分でいられなくなる恋愛が怖くて、そういう状態になっている人を見るのも怖いという。
── 普段の自分が好きだからこそ」というのも奥森さんらしい捉え方で興味深いです。そして、異常具合の例を聞くとたしかにと感じざるを得ないですね!
奥森:正常な状態でいられなくなってしまうという点で恋愛を悪いものだと捉えている節があって、それを恋愛リアリティショーとして公開するなんて! と思うんです。例えるならお酒を飲んで酔っ払っているのと同じなのに、それを配信するとか……人ってそんなことしていいんでしたっけ? と思います。もちろんお酒と同じように、デメリットをわかったうえで好きな人がいるのもわかっているんですけどね。
私も、恋愛には恥ずかしいことが付きまとう、というのは理解しています。自分も多少なりとも過去にそういう恥ずかしい状態になってしまったことがあると思うんですけど、それはあくまで一対一の関係のなかでのこと。自分だったらその状態は絶対に公開されたくない、一番恥ずかしいことだと感じます。だから、自分がその状態にあるのと人のそれを見るのは全くの別物だなって。
ただ、noteを書いたときもこうして話している今も、一つだけ不安なのが、かっこつけてると思われること。「みんなが好きなものを自分は好きじゃない」「あんなの見てるやつ、つまんないよ」と言いたいだけ、というわけではないんです。ちなみに、恋愛以外でもみんなが熱中しているのに自分はハマれないものがあると、なんでだろうと考えます。

「安心してのびのび生きられる居場所を求めていたら、偶然にも手に入れられた」
── 奥森さんは、ご自身の結婚について「平穏に暮らしている。『結婚させられて可哀想ですね』というコメントが送られてきていた。驚く。自分が尊敬できると選んだ人と同じ家で暮らし、同じドレッシングをかけて野菜を食べる。それを望んでいたからこそ、それを幸せに感じる」と綴っていらっしゃいました。奥森さんが考える、恋愛と結婚と生活の関係を伺いたいです。
奥森:結婚を発表したのは 2年くらい前の19歳のときで、小学生のときに一番仲良かった子から「早く結婚したいって言ってたもんね。おめでとう!」って連絡が来て。そんなこと言ってたんだ、と思ったんですけど。
でも思い返すと多分、ずっと家庭とか家族みたいなものに憧れがあったんですよね。両親が仲良くて、一人っ子の私も両親と仲が良くて。親戚付き合いはないからぽつんと一軒家じゃないですけど、一つの家に集って、それぞれ好きなものがあって、好きに暮らしながら、みんなハッピーで、という家族の在り方が好きだったんです。
それで、自分も自分にとってのそういう場を作りたいという気持ちがありました。「若すぎだろう」っていう世間の声があると思うんですけど、自分としては、いい居場所を見つけたのであればそこで過ごす時間が一日でも長いほうがいいと思っています。
よく、恋と愛はなにが違う? みたいな論争のなかで、恋はドーパミンで愛はセロトニン、みたいに言われますよね。私はドーパミン的なものを全然求めていなくて、安心してのびのび生きられる居場所を求めていたら、偶然にも手に入れられました。
── たしかに恋と愛の違いはいろいろな語り方をされますね。ちなみに、他人の愛的な感情や言動、関係性を目にしたときには奥森さんはどう感じるのでしょうか。
奥森:知人のご夫妻と会って話すとか、友達からずっと付き合っている恋人や結婚相手の話を聞くとか、そういうのは日常の話、生活の話だと感じるので、むしろ聞いていたいです。
── 自分のことでも他人のことでも、明確に恋と愛の違いを感じるんですね。
奥森:たしかに、明確に違いがあるかもしれない。たとえば、友達が人に迷惑をかけていたり、自分を傷つける行動をしていたりすることってあるじゃないですか。そういう危なっかしい話、大丈夫なのかな? と心配になってしまう話を聞くのが嫌というのがあって……。話を聞いていくと大体、原因は恋なんですよね。「結局恋じゃねーかよ!」という。
だから、恋の話が嫌だとか、愛の話だから最高! という判別をしているわけではなくて、今までの数少ない経験のなかでも不安な気持ちになることを紐解いていくと、「恋じゃねーかよ!」となります。

愛を中心に置いて「与えたい」同士だから上手くいく夫婦関係
── 今回は、愛特集ということでいろいろな愛を扱う企画なんですが、奥森さんは「恋愛」が苦手なうえで、気になっている愛、大切にしている愛などはありますか?
奥森:最近、自分がいいなあと思って勝手に名前をつけたのが、「非恋愛」です。
現状、「恋愛」「異性愛」が流行ってるから、男性のキャラクターと女性のキャラクターが出てきて付き合いました、あるいは失恋しましたっていう物語が多いと思うんですよ。
でも私は、友情やライバル関係が生まれたり、なにも起こらなかったりっていう話が好きで、そういう話があると嬉しくて。たとえば、『ズートピア』だったらウサギのジュディとキツネのニックという、性質が違う2人が協力して、いいバディになる。『プリキュア』だったらみんなで力をあわせてがんばる。最近だと、吹奏楽部を描いた『響け! ユーフォニアム』も好きです。
あとは、映画『夜明けのすべて』も好きでした。温かい空気感のなかでお互いの苦しみや悩みを打ち明けあって、理解しようと努力する。それで、ちょっとだけ理解できてお話が終わるっていう。「私たち分かり合えたね」「じゃあ付き合いましょう」とはならないところに救われます。だから、非恋愛の作品をもっと観たいな、と。

── 人と人とのつながり全てが恋愛に回収されることへの違和感みたいなものがあるのでしょうか。全部が恋愛になるわけないだろうというか、それ以外のつながりもあるだろうみたいな。
奥森:あるかもしれません。恋愛が苦手なもう一つの理由が、相手がいることなんですよね。相手のことが好きで相手も自分のことが好きだったらクリアですけど、自分が全然好きじゃない人が自分のことを好き、というケースもあるじゃないですか。逆も然りで。
そうなると、どうがんばってもつらい。相手を傷つけることがほぼ確約されているのがしんどいし、自分が誰かを好きになったときには相手にその役を背負わせる可能性があるのもしんどい。
── たしかに、好意には暴力性がありますよね。
奥森:でも、見返りを求めなければいいんだとは思います。自分は、人に優しくするのが好きなんですよ。褒めたり、贈り物をしたり、楽しいことに誘ったりするのが好きなんです。
それで、私はあくまで差しあげたいだけの人間だから、「これあげたんだからそれくれよ」は全くない。受け取ってもらってもいいし、断ってもらってもいいと思っています。そういうスタンスでいられるなら、好意や優しさも問題ないのかなと考えています。
自分が結婚して2年経って、「与えたい」同士だから夫婦の関係が上手くいってると思うんですよね。ああしてほしい、こうであってほしいみたいなのがお互いにない。家事をやっておこうとか、相手が好きそうな服があったから買ってプレゼントしようとか、なにかのチケットを取って今度一緒に行こうとか。そういう「与えたい」しかない関係性はすごい愛っぽいなって思います。
── すごく素敵ですね。理想的で、成立させる秘訣が気になります。意識的に見返りを求めないようにしているのか、それとも、ポンとただ優しさを渡せるのか。
奥森:半々ですね。人のことを褒めるのとかは、意識しなくても勝手にやっちゃう。でも半分は、なにか求めたら失敗する、上手くいかなくなる、という実感をもとに、あまりしないように意識しています。
逆に、愛を一番中心に置いておけたら、凹むことや怒ることがあっても愛に戻って来ることさえできたら、きっとどうにかなると思っているから、大切にしているのかもしれません。















