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between the arts×Beyond Magazine #006

銀ソーダ┃「青」はとても難しい色──でも、もっとも素直に自分を表現できる色

author: 山田ゴメスdate: 2022/10/20

福岡県箱崎出身で、2018年に大学を卒業してからも地元の銭湯跡地「大學湯」を拠点に、透明感のある青色にこだわった抽象画を制作する銀ソーダさん。「記憶と時間の可視化」をコンセプトに作品へと取り組む彼女にとって「絵を描く」ということは、ひとつ一つの行動が形に残っていくことをリアルに実感できる行為だという。そんな銀ソーダさんのルーツを伺ってみると……そこには「笑顔」というキーワードが隠されていた!

精神的なバランスを崩してしまった高校時代

8月6日〜7日に福岡県の「UNION SODA」で開催された、福岡を拠点に活躍する作家を含む総勢12名による現代アートのグループ展『Re live ~art works Fukuoka 2022』の一角に、幾多もの表情を持つ青色を基調とする抽象画のブースがあった──そのピュアで繊細なブルーの使い手である銀ソーダさんの思春期は、狂おしいほどの自問自答の繰り返しだったらしい。

銀ソーダさん:私は一人っ子で、シングルマザーという家庭環境──母と祖母と私の女三人のなかで育ってきました。兄弟がいなかったので、昔から独り遊びが好きでした。絵を描いたり、粘土で遊んだり、ピアノを弾いたり……。

なかでも、絵は不思議とスラスラ描けて、なにかを模写して学校の先生や友だちから、「わぁ! すごいね」と褒めてもらえるのがうれしくて……。「絵」は私にとって、一番のコミュニケーションツールだったんです。

高校に進学するときも、なんとなく「芸術系の高校に行きたい」とは考えていたのですが……ウチはお金に余裕がなかったから、「普通の高校に行ったほうが母に(金銭的な)負担をかけなくて済むだろうな」という遠慮もあって、結局は公立の進学校を選びました。

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「絵を描くことを仕事にしたい!」という夢はすでに芽生えはじめていたものの、銀ソーダさんが入学したのは理系の進学クラスで、しかもその高校は美術の授業がなかったという。

銀ソーダさん:学校には唯一イラストを描く同好会があったので、そこに所属しました。でも、作家を目指している自分とはどうしても熱量が合わなくて……。「勉強の合間の息抜き」という感じでした。もちろん、それが悪いわけではありません。ただ、私が学びたいものとはかなりのズレがあった。部活動も人間同士の集まりですから、その人間関係自体が面倒臭くなってきて、徐々に内へと閉じこもるようになってしまいました。

高3になると、卒業後の進路もハッキリとさせなきゃいけない。定期的にテストもあるし……。けれど、美術以外の道に進む気もまったくなかったので、判定や成績もイマイチ芳しくなく……。それがさらに、

「自分はなんのために生きているんだろう!?」

「自分は今後どうなっていくんだろう……」

……という不安をより掻き立ててしまい、学校にも行きたくなくなって。

けっこう他人の目を気にするタイプでもあったため、周囲からは「真面目な子」と見られていました。だから、自分のなかに「そのイメージを守り通さなければ!」という義務感みたいなものもあったと思います。

そんなある日、母がポツリとこぼした一言が、私の目を一気に覚ましてくれた……と、銀ソーダさんは当時を回想する。

銀ソーダさん:私が精神的なバランスを崩して毎日生きることへの不安を吐いている姿を見て、母が

「私はあなたを産んで幸せやったよ。やけど、そんなに生きるのが辛いんやったら、産んでしまってごめんね…」

……と、泣きながら背中をさすってくれた。「ああ…私、母にずっとひどいこと言い続けていたんだ」ってグサッと刺さり、母のその言葉が私を変えてくれました。

「そこまで私のことを大事に想ってくれる母がいるなら、せめて母のためだけにまずは生きてみよう!」

……と。それから、あらためて「自分はなにが好きなのか?」と問いただしたら、「やっぱり私は絵を描くことが好きなんだ」という結論へといたったのです。

自分がこれまで生きてきた証を形に残したかった

ようやく“どん底の状態”から抜け出すことができた銀ソーダさんは、九州産業大学の芸術学部デザイン学科(現・ビジュアルデザイン学科)へと進学。

銀ソーダさん:無事大学に入学できて、「ようやく自分がやりたいことができる」と思いました。デザイン学科を選んだのも選択肢をより広げるためでした。「表現」のなかでも私はなにがしたいのかを客観視したかった。

デザインの世界に触れていく中で心境の変化がありました。自分のなかでは「デザイン=問題解決をしていく手段」であって、なんとなく「私はデザインじゃないな…」と薄々感じていました。「アート=問題提起」のほうが私には向いているのではないかって。逆に言えば、それがはっきりと見えたのはデザインを学んだからだった。違う世界に触れることによって、自分の苦手な分野が削ぎ落とされていった──原点に戻ってきたという感覚です。そして現在にいたります。

苦しかった高校時代の経験があるから、少しのことで落ちこむようなこともなくなった、強くなれた……。今となってはとてもありがたい、貴重な経験だったと考えています。

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銀ソーダさんが描く抽象画のコンセプトは「記憶と時間の可視化」──一見、目には見えないが、人それぞれの内側に積み重なっていくものを可視化させることを目指しており、また、そんな回帰的作業のなかでも「10代の経験」は大きな財産となっていると、彼女は微笑みさえ浮かべる。

銀ソーダさん:私の創作活動は「自分がこれまで生きてきた証のようなものを形に残したい」という想いがスタート地点になっています。キャンバス上に重ねていく絵の具が「人生の軌跡」という解釈です。

たとえば、「記憶」は、この世に生まれてからのものがすべて残っているわけではありません。とても断片的で……でも確実に自分のなかでは積み重なっている。そんな眠っていた記憶がふとしたきっかけで突如呼び起こされることがあるんです。そういうものを丁寧に描き起こしていったら、自然と今日(こんにち)のようなスタイルになりました。

青はポジティブからネガティブまでさまざまな表情を持っている

話は少々遡る。「今日(こんにち)のようなスタイル」──抽象画へと行き着く大きな転機となったのは、たまたま大学に非常勤講師として招かれていた某抽象画家との出会いだった。

銀ソーダさん:その先生は、何十%かに薄めた墨と漫画家さんなどが使うペンを何種類も用いて、細い線で抽象のモチーフを表現されていました。当初は、なにを描いているのかさっぱりわからなかったのですが(笑)、真っ白な紙にどんどんと線を引いていって、とにかく楽しそうでした。

「これ、なにを描いているんですか?」と質問したら、

「なんでもない」

……という答えが返ってきました。なんでもない??? これまで私は絵になにか意味を持たせようと必死だったのに……。さらには、

「なんでもないけど、描き続けていたらなにかになるんだよね」

……とも言われました。とても衝撃的な言葉でした。そこで私も、なにか切り開けることがあるんじゃないかと、見よう見まねで抽象画をはじめてみたんです。

その先生は黒色だったので、私は好きな青色で──最初は遊び感覚だったという銀ソーダさん。しかし、偶然と偶然から生まれるインプロビゼーションのプロセスを目の当たりにしていくうちに、彼女は「抽象」という表現手段へとハマっていく。

銀ソーダさん:先生が使う黒色もすごく表情豊かでしたが、私が好きな青色も負けていないな……と(笑)。青はポジティブからネガティブまでさまざまな表情を持っていますから。

海に例えると、浅瀬のほうは透明感があって静かだけど、深い場所は吸い込まれるように濃く、冷たさや怖さを感じることもあって……。同じ青なのに不思議な感覚におそわれてしまいます。空も青くは見えるけど、じつは空気を経て、光が反射して、青く見える層があって、その先には宇宙があって……。

「青には果てしない向こう側がある」

キャンバスだったら、まず「布」からはじまって、その布に青色で「記憶と時間」という壮大なものをテーマにしつつ、「向こう側」をつくりたい──だから青を選択しました。技巧的な意味でも青はとてもむずかしい色だと思います。ただ、私にとっては、もっとも素直に自分を表現できる色でもあるんです。

ちなみに、銀ソーダさんが好きな作家は意外にも、19世紀に「ロマン派」として活躍したウィリアム・ターナーなのだそう。

銀ソーダさん:イギリスに行ったとき、「テート・ブリテン美術館」(ロンドンのテムズ川畔にある国立美術館)に所蔵されている本物をはじめて観て、うわ〜って鳥肌が立って、ターナーの作品しか目に入らなくなってしまいました。美術の教科書とかで名前くらいは知っていたけど、体感するとまったくの別物でした。

ターナーは、初期のころは風景を細密に描いていたのですが、まるで生きていた瞬間を切り取ったかのようで……。印象派のはしりとの説もある画家さんなので、色の重ね方とか、技法的な部分でも大きな影響を受けています。その後、ターナーの作風は、徐々に抽象化されていくのですが、晩年の絵はささ〜っと水彩で描いているだけなのに、ものすごい量の情報量が一枚の絵に詰め込まれていて……。その豊かな表現力に感動しました。

「大學湯」は「創造の湯で心を洗う場所」

現在は、自宅近所の幼少期によく通っていたという「大學湯」を拠点に創作活動を行なっている銀ソーダさん。1932年に創業し、2012年に廃業した銭湯の跡地をアトリエとして利用するようになったのは、創業者の孫にあたる石田健(いしだ・たけし)さんの勧めによるものであった。

銀ソーダさん:2018年に、ある告知をFacebookのイベントページで見つけたんです。「大學湯の再利活用方法を皆さんで考えてみませんか」という内容で、会合名は「銭湯びらき」でした。

そこで知り合った石田さんが「修繕工事をするまでの間にアトリエとして使ってみませんか?」と提案してくださったのがはじまりです。

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2019年からアトリエとして使わせていただいています。そうしているうちに「アトリエとして私が一人占めしてしまうのも、もったいないな」「自分も本格的にこの大學湯を守っていくメンバーになりたいな」という気持ちが膨らんできて、ちょうど石田さんがここを「一般社団法人」として登記されたタイミングで、構成員として加入させていただき、今は理事を務めています。

おかげさまで、クラウドファンディングで資金を集め、去年に修繕工事も終えました。今年からはレンタルスペースやコミュニティスペースとして、ワークショップやイベントなどを企画しています。

あと、「画家」という職業の人は世の中にたくさんいますよね。だけど、「銭湯をコミュニティの場として運営している画家」は、そんなにはいないのではないでしょうか。その希少性がアドバンテージとなり、メディアの方にも注目してもらえるきかっけとなりました。

だから、「大學湯」は私と一緒に成長していく良きパートナーだと考えています。

「大學湯」の番台を通り過ぎると、正面に銀ソーダさんが描いた巨大な壁画が目に入る。 その“大作”に凝縮された、彼女のあくなきエモーションとは……はたして?

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銀ソーダさん:タイトルは「創造」です。「大學湯」がかつて銭湯だったころの湯水のように、内から湧いてくるアイデアやイメージが詰まっている空間──「創造の湯」を沸かせる場として、ここを盛り上げていきたい。いわば「大學湯」は「創造の湯で心を洗う場所」なんです。

この作品は1年に一回、塗り重ねるつもりです。1年前の自分と今の自分との変化をこの壁画を通じてアップデートしてみるのも面白いんじゃないかな……と。初の試みです。ちょうど10月10日の「銭湯の日」に「大學湯」はリニューアルされたので、今年の11月に新しく描き足す予定で、一部描いているシーンもライブでお見せします。

正直、一度完成してしまった作品に手を加えるのは非常にデリケートな作業であって、もしかすると破壊行為になってしまうかもしれない。けれど、一度つくった自分の型を壊してまたつくって壊す……という繰り返しは、アーティストとして避けて通れないライフワークだと思うし、ワクワクもする……。そして、その高揚感と緊張感が私の感性をなんらかのかたちで揺さぶってくれると私は信じています。

SNSは最強のツールだけど、その世界だけで完結はしてほしくない

1995年生まれで、おおよそだと「Z世代」に分類される銀ソーダさんは、SNSを通じて気軽に作品を発表する場がインターネット上にある環境は、アーティストとして「とても恵まれている」と語る。

銀ソーダさん:SNSに関して言えば、私はやれることはやる──積極的に活用していきたいと考えています。アレルギーはありません。

SNSは、ツールによって利用する層も微妙に違ってきます。たとえば、最近TikTokをはじめたのですが、メインのユーザーはやはり10代が中心で、コメントもときには心無い批判や不用心な放言が混じっていたり……。便利で波及性も大きいぶん、広がるのも一瞬なので「怖い」と感じることもあります。

しかし、届ける相手さえ慎重に選べば、最強のツールです。各SNSごとに発信する内容に変化をつけています。作品の世界観のみを投稿していると、私は近寄りがたい雰囲気だと勘違いされてしまいがちなので(笑)。

ただ、「SNSを入り口にするのはかまわないのですが、そこで完結してほしくない」とも銀ソーダさんは警鐘を鳴らす。

銀ソーダさん:私としては、やはり生の作品がある展示会場にまで足を運んでもらいたい。私は体感しなければ気が済まないタイプですが、おそらく入り口だけで満足しちゃう人はどんどんと増えてきている気がします。それだけで知ったと思い込まず、もう一歩だけ作品に対して深く踏み出してくれたらな……と。

これはなにも絵にかぎったことではありません。それこそ記憶に鮮烈な軌跡を残すものとの出会いは、五感すべてで味わう体感が不可欠──たとえば、絵の具を何層にも重ねてぼこぼこになった微妙な立体感、陰影は観にきてもらわなければ味わえないディテールなんです。

そういう意味で、「インターネット上のポートフォリオ」というスタイルで「私への入り口」を、とても効果的に、アーティストへの最大限のリスペクトをもって提供してくださり、それだけではなく、『Re live ~art works Fukuoka 2022』というグループ展まで地元でキュレーションしてくださった「art works」さんには大変感謝しています。

「笑顔」を取り戻したら環境の好循環がはじまった!

では、最後に銀ソーダさんから、Beyond読者に向けてメッセージをいただくことにしよう。

銀ソーダさん:10代の精神的にキツかった時期、私は「笑顔」を失っていました。だから、自分の身にもネガティブなことしか寄ってこなかった。でも「笑顔」を取り戻したとき、まず母が「笑顔」になった。さらに波紋のようにまわりの人たちにも「笑顔」が伝播していき、環境的な好循環がはじまりました。

それ以降、物事を楽しむことを考え、とりあえずは自分が「笑顔」でいることが大事だなと痛感しました。絵とは直接関係ないかもしれませんが、人と人の付き合いも「笑顔」がすべての潤滑油になってくれる。

作品でなにかを語るのも重要なのですが、それ以前に人柄が人間関係には切っても離せないわけであって、その人柄は結果として作品にも自然と投影されます。

私は絵を通じて人と関わることの楽しさを教えてもらいました。

自分がどういう人を応援したいかってことになると、やはり「笑顔」でいる人──人生に前向きな人を応援したい。自分もそういう人でありたい。また、そんな姿勢が私のアーティスト活動にも反映されたらいいな……と願っています。いろんな人たちと「笑顔」で関わりを持てて、私の作品を観てもらえて、その人に「笑顔」が見えたら、私はそれだけで最高なんです。

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撮影:佐山順丸

銀ソーダ┃ぎんそーだ


1995年、福岡県生まれ。九州大学芸術学部デザイン学科を卒業後、アーティストとして活動を始める。おもにアクリル絵の具やメディウムを使用して「記憶と時間」をテーマに、ブルーを基調とした抽象画を制作。現在は福岡市東区箱崎の銭湯跡地「大學湯」を拠点とし、国内外で積極的に作品を発表。「大學湯」再生プロジェクトのメンバーでもある。

Instagram:@gin_soda_46
TikTok:@gin_soda_46
YouTube:銀ソーダGINSODA
Twitter:@gin_soda_46
facebook:銀ソーダ
artworks:銀ソーダさんの作品はコチラから




【artworksとは?】

「アートをはじめとしたコレクションが生み出す資産価値を大切に守ることを理念とし、アート領域でさまざまなDX推進事業を手掛ける「between the arts」が運営。アーティストが創作活動に集中できる環境づくりのため、多角的なサポートを行なっている。「一作品からの預かり・管理」「アーティスト専用ページの作成」「作品登録代行」から「額装・配送手配」「展示・販売会の開催」など、そのサービス内容はフレキシブルかつ多岐にわたる。

URL:
https://bwta.jp/services/artworks/

登録アーティスト一覧:
https://artworks.am/artists

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文筆家・イラストレーター
山田ゴメス

大阪府生まれ。年齢非公開。関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション・学年誌・音楽&美術評論・人工衛星・AI、さらには漫画原作…まで、記名・無記名、紙・ネットを問わず、偏った幅広さを持ち味としながら、草野球をこよなく愛し、年間80試合以上に出場するコラムニスト兼ライター&イラストレーター。『麗羅』(漫画原作・作画:三山のぼる/集英社)、『「若い人と話が合わない」と思ったら読む本』(日本実業出版)、『「モテ」と「非モテ」の脳科学~おじさんの恋はなぜ報われないのか~』(菅原道仁共著/ワニブックスPLUS新書)ほか、著書は覆面のものを含めると50冊を超える。特に身体を張った体験取材モノはメディアからも高い評価を得ている。2019年、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)カウンセラー資格取得。2020年、温泉マイスター取得。2022年、合コンマスター取得(最年長)。
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