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【キーマンと気ままに、クルマ放談】#06

フランス車メーカーで手腕を発揮。元編集者が語るPRを成功に導く方法

author: 若林敬一date: 2023/01/10

若林敬一が、気になるクルマメーカーのキーマンと対談する連載企画。今回は、ファッション誌の編集・ライターを経て、PRおよび制作の会社を起業。その後、フィットネス業界での経営企画を経て、旧グループPSA(以下PSA、現ステランティス)の広報としてインバウンドPRを構築した森 亨(とおる)さんが登場。異業種からクルマメーカーに転職し、クルマのPRのあり方を大きく変えた森さん。そのユニークな経歴と、ブランディングの極意について聞く。

大学時代にライターデビュー。培った編集経験と人脈が武器に

若林 この連載ではクルマメーカーの方に「ブランディング」についてうかがっているのですが、今回はブランディングに関連して森さん個人に注目してインタビューしていきたいと思います。

森さんは、もともと雑誌の編集やライターを長く経験後、PRコンサル会社を起業。その後さらに、フィットネス企業の経営企画を経て、2018年6月~2022年3月はプジョー、シトロエン、DSオートモビル、オペルという4つのブランドを持つフランスのグループPSAで広報として手腕を発揮されました。

自分の力で人生を切り開いてきたという印象を受けますが、この異色の経歴について詳しく教えてください。

旧グループPSAにて、画期的なインバウンドPRを構築した森 亨氏。

 切り開いたというほどの自覚はありませんけれども、結果はそうかもしれませんね(笑)。ライターを始めたのは、大学2年生のときに『Boon』という男性ストリートファッション誌のライター募集に応募したのがきっかけです。

僕は貧乏学生だったので、コンビニのバイトだけじゃ間に合わない。それで西麻布にあった男性ストリップダンスバーのボーイもアルバイトで掛け持ちしながらライター業をやっていました。当時、雑誌のライターは1ページ2万円もらえたので、10ページで20万円。お金のない僕にとっては魅力的な仕事だったんです。そうこうするうちに、知り合いのつてでほかの雑誌でも原稿を書かせてもらえるようになりました。

大学を卒業した1999年は、当時、空前の就職氷河期でした。僕も就職活動でだいたい100社くらい落ちまして、なりゆきでそのままフリーランスの編集ライターになったんです。

若林 雑誌業界にはどれくらいいたんですか?

森 15年くらいです。長らくフリーでしたが、『zino』という雑誌の創刊時は正社員編集部員として働きました。が、2年ほどで会社が解散。それで知人のイベント会社に誘われて、新規事業の立案や若手に企画の立て方やプレゼンテーション書類の作り方を教えたりしていました。

ブランディングからPRまで一気通貫する会社を起業

 リーマンショックが起きてイベント会社を1年で辞めた後は、制作会社を設立して独立。PR・ブランディングまで一気通貫で受注する、自分が経営する会社です。

若林 そこで本格的にブランディングビジネスをスタートするわけですね。

森 はい、そうなりますね。例えば、秋田の手づくり時計メーカーでは、リブランディングのコンセプト立案から、ウェブサイトやカタログ制作のディレクションまでをすべてやらせていただきました。

森さんが手掛けた時計メーカー「MINASE」のカタログと当時のプレゼン資料

若林 まさに編集者時代の経験が生かされている。

森 はい、そう思っています。編集はテキストだけでなく構成力やビジュアルも含めて総合力と思っています。それに編集者時代からカメラやデザインの知識は独学で勉強していましたから。そういう知識がないと一流のプロであるカメラマンやデザイナーと議論できないので。高校時代は建築家や工業デザイナー、クルマのエンジニアに憧れてたり、写真を撮るのも好きだったというのも大きいですね。

若林 好きな分野だから能力が発揮できたんですね。でも、一番驚いたのは、森さんは形から表現のパターンを真似するのではなく、しっかり基礎知識を自分の中で咀嚼して、本質的なところからスタートしているということです。それって、基本を大事にすると言う素晴らしさがありますよね。

森 ありがとうございます。そこは大切にしているところです。まず、その分野について本を読んだりリサーチしたり、徹底的に勉強することから始めるように心がけています。もちろん自分ひとりで全部やるわけではなく、カメラマンやデザイナーとチームを組んで制作します。ただし、誰にも文句を言わせないように、その業界で一流と呼ばれる人を連れてくるようにしました。

若林 発注者からすると、すごく心強い。

森 自分の会社時代で一番成功したのが、名古屋の自動車関連製造業、タケヒロのグループ会社がつくった「NINE LEAVES(ナインリーブス)」というラム酒です。これはアマン東京のシグネチャーカクテルにもなっています。

若林 それはすごい! これもブランド構築ですか?

森 今となればそう言えるかもしれません。名前とオーナーがやりたいことが決まっていただけでした。当時、妻も会社にジョインしてくれていたのですが、お酒のブランディングや広報の経験が豊富でして。彼女がブランドのコンセプトやメインのコピーを考えてくれました。そこから発展させていちからブランドづくりを手がけさせてもらいました。 

若林 なるほど。周囲の意見も上手に取り入れて…。

森 はい、それは雑誌編集時代に学びました。『zino』時代の副編集長から、「詳しくないことは自分でこねくり回すのではなく、まず、その道のプロに聞け」というのを徹底的に叩き込まれたんです。例えば、時計なら日本で時計についてナンバーワンのプロに聞け、と。おかげでコミュニケーション能力が鍛えられて、いろいろな人の意見に自然と耳を傾けるようになりました。

ゴールを見据え、誰に向けてPRするかの戦略

若林 自分の会社ですばらしい成果を出していたのにもかかわらず、フィットネス系ベンチャー、クルマメーカーへと転職を重ねたのは、どうしてですか?

森 制作会社は、結局、外注だからです。決定権のある事業会社じゃないと、できないことがたくさんあります。そんなことをふつふつと考えているときに、ホットヨガのLAVAなどを運営するベンチャーバンクから誘われて、経営企画に入りました。

ベンチャーバンクでは、社内コンサルのような形で10ほどあるブランドのいくつかのリブランディングや社内広報、採用マーケティングひとつひとつ手がけるという感じでしたね。コンセプトからロゴまわりまで、全部ディレクションして。やっていることは、自分で制作会社をやっていたときと変わらない感じです(笑)。でも周りから頼られるのってやっぱり嬉しいですよね。

若林 ずっと編集のスキルが生きているんですね。

森 編集だけから、ブランド構築、PRへと幅が広がっていったというイメージです。僕がファッション・ライフスタイル誌出身だったのも、プラスでした。ファッションや食のブランドの取材先と親しくなるうちに、「今度こんなことしようと思うんだけど、どう思う?」というようなアドバイスを雑談しながら求められることも多かったんです。PRの仕事も編集の延長線でできそうだな、と感じるようになりました。

若林 PRを成功させるポイントがわかっていた?

森 そうですね。メディア側の経験があることで、どういう順番で、誰に向かって情報を届ければいいのかということが見えていたと思います。例えば、「NINE LEAVES」の場合、意図的に男性ライフスタイル誌、食系メディアを狙ってPR。結果、ほぼすべての媒体で露出することができました。

なぜそこを狙ったかというと、そういう雑誌やメディアは、バラエティや情報番組の制作会社がネタ探しで必ずチェックするからなんです。結果、「NINE LEAVES」も『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)や様々な情報番組でも取り上げてもらうことができました。

関心を持つ人すべてに向けたインバウンドPR

若林 その次はPSA(現ステランティス)に移って、日本初のインバウンドPRを成功。なぜ、クルマ業界に移ろうと?

森 クルマが大好きだったからですね(笑)。いつかクルマに関わりたいとずっと思っていました。すると、たまたま知人からPSAの経営幹部に一回会ってみないか、と言われたのです。実は、それが面接だとは考えていなくて(笑)。当時、PSAサイドはクルマ業界にどっぷりな人間よりも、それ以外から人材を探していたそうです。編集者時代はクルマページも担当していましたし、業界のことも外からある程度わかっていたというのも、よかったんでしょう。

若林 PSAのインバウンドPRとして、それまでのプレスサイトに代わって「NEWSROOM」を構築したんですよね。まずはインバウンドPRの概念について、教えてもらえますか?

森さんが構築した「NEWSROOM」はステランティスでも継続運用されている。

森 一般的にPRは、メディア関係者が対象と考えられています。グループPSAジャパンのプレスサイトもWeb上で発行したID、パスワードで、一部のメディアだけが情報や写真を入手できるというクローズドなものでした。それに対してインバウンドPRは、対象をメディア以外、オーナーも含めたPSAに興味を持つあらゆる人に広げたものです。そういう人たちが、検索などを通じて自然に集まるようなオープンな情報サイトを作り、同時にメール会員になってもらい、知りたいことや役に立つと思ってもらえる情報をプロアクティブにどんどん発信していくことで、関係性を構築していくというのがおおざっぱな骨子です。それによって、個人でもSNSで簡単に情報が発信できるようになります。

そのために、NEWSROOMではたくさんの写真をダウンロードできるようにしたり、詳しい技術解説の資料を用意したり。こうすることで、好きな写真を使って、NEWSROOM の情報から文章を抜粋してアレンジすれば、誰でも簡単に記事を発信できます。登録者には更新情報など定期的にニュースレターを自動で送るようにして、情報をキャッチしてもらいやすくもしました。おかげでメディアも個人もPSAについて記事を発信してくれる機会が大きく増えました。

若林 具体的にどれくらいの成果があったんですか?

森 2018年と2021年を比較すると、AVE(※)は5.43倍、NEWSROOMへのアクセス数は、クローズドなプレスサイト時代から6倍に増加しました。

※AVE=Advertising Value Equivalency:広告換算値・PR成果指標のひとつ

実は、僕自身、NEWSROOMをやる前からこれは絶対に成功するというのが見えていたんです。自分がメディア側の人間だとしたら、こんなふうに素材を提供されたら、すぐに記事が書けますから。特にネタに困ったときは便利ですよね。

若林 インバウンドPRの必要性を感じる課題がPSAサイドにあったのだと思いますが、それはなんだったのでしょう。

森 課題は、フランス車の情報流通量が競合にくらべて極端に少ないということでした。フランス車は、圧倒的に日本市場でシェアが少ないんです。ドイツ車に比べて約8分の1。さらにフランス車の情報に触れる機会となるとさらに少ない。しかも、「フランス車は壊れやすい」という20年前の都市伝説がいまだに根強く残っています。いまどきそんなことはあり得ないのに(苦笑)。これも情報流通が少なく、新しくアップデートされた正しい情報が社会にきちんと伝わっていない弊害でした。これではセールスにプラスになりません。最終的にセールスのサポートにならないと……。

そんな課題を抱えたPSAのPR戦略では、正しい情報の絶対量を増やすことが必須でした。それにはメディアだけでなく、いろいろな人に広く発信してもらうしかない。デジタル時代だからこその戦略です。

PSA時代に森さんが企画に携わったシトロエンとオペルをテーマにしたムック本。

若林 インバウンドPRという構想はどんな経緯で発想するのに至ったのですか?

 ベンチャーバンク時代に人事部のサポートとして、インバウンドマーケティングの考え方を応用して「インバウンドリクルーティング」をやっていたんです。その経験を発展させた感じです。課題は、情報の流通経路だというのはわかっていました。その課題を解決するには、情報を俯瞰して集めて、そこから課題を抽出、解決策を考えて実行するというのが一連の流れ。僕にとっては、編集と同じです。結局、リブランディングや経営企画も全部一緒。編集力って、どんな世界でも通用するポータブルスキルなんですよね。

あらゆるものがメディア。場数で編集力を伸ばす

若林 森さんの話を聞けば聞くほど、自分の能力や知識を把握し、仕事や人生に活かされている方なのだと感心しています。

森 ありがとうございます。編集は能力職でありポータブルスキルだと思っています。英語や経理ができるのと同じ。一度身につけたら、それをいろいろな場所で活用できる。

若林 では、これから自分を生かす仕事をしたいと思っているZ世代がその編集力を身に着けるには、何が必要でしょう? 森さんが編集力を培った「紙の編集」は、縮小傾向ですが…。

 ひと言でいうと、編集の場数を増やすしかないんじゃないでしょうか。でも、それは「紙の編集」には限りません。僕は以前、フェリス女学院大学で非常勤講師をしていたときに学生たちに、「メディアというのは、なにかを仲介するものすべてだ」と教えました。メディアの語源は、ラテン語のmedium(中間)なんです。つまり、紙やWebサイト、SNSだけでなく、パッケージだって、店舗だって、情報を仲介するという意味ではメディアです。

そう考えると、メディアで編集力を鍛えるチャンスは無限ですよね。例えば写真。インスタ映えする写真の撮り方を大学の授業で教えると、学生たちからのウケもすごくいい。でも、もっと“映え”を狙うには、写真だけでなく、フィルターやハッシュタグの使い方、投稿する時間なんかも工夫できる。そうやって学びを重ねていくことで、編集スキルを上げていくことができると感じています。

若林 確かにZ世代には、SNSの写真や文章を繰り返し鍛錬して、自分の力にするという方法が有効そうですね。

 はい。例えば業務で作るパワーポイントをできるだけこだわってきれいにする、というのもありです。どんな写真を使って、情報量はどれくらいで、どういう順番でページ構成をして、心に響くコピーやレイアウトはどうしたらいいのか? それを毎回、真剣に考えるだけでも全然違ってくると思います。

若林 今回、森さんのストーリーをうかがって、ご自身もしっかりブランディングされていると感じました。それが森さんを一層、魅力的に見せています。

 ありがとうございます。恐縮です(笑)。結局、なんだかんだいって、僕はやっぱり「編集者」なんです。どんな仕事をしていても、最終的に読者やユーザーに喜んでもらうことが一番大事。その人たちにちゃんと伝えるために、知識を学び、コミュニケーション力をつけて、編集力を磨いてきた。そのおかげで、求められる仕事にはきちんと答えられるという自信がつけられたのだと思ってます。

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オート・アドバイザー/R-BRAND株式会社 代表取締役
若林敬一

ケロッグ経営大学院MBA、Marketing&Finance をメジャー。フォード本社広報やマツダのグローバル広報部長、本部長などを歴任。その後ボルボ・カー・ジャパン、ジャガー・ランドローバー・ジャパンのマーケティング・広報ダイレクターに転じた。2021年に独立し、R-BRAND株式会社を設立。マーケティングおよび広報の視点からコンサルティングを行う。
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